「おヒョイさん」の愛称で親しまれた俳優藤村俊二(ふじむら・しゅんじ)さんが1月25日午後8時45分、心筋梗塞による心不全で亡くなっていたことが1日、分かった。82歳。15年10月小脳出血で倒れ、同12月日本テレビ系「ぶらり途中下車の旅」を降板後療養していた。96年に再婚した28歳下の女性とは3年前に離婚していた。この日、親族のみで密葬を行った。2月14日正午から東京・渋谷区神宮前の慈雲山長泉寺で「献花の会」が開かれる。

 軽妙な持ち味で多くの人から愛された藤村さんは、静かに旅立った。この日、都内で会見した長男で所属事務所代表の藤村亜実さん(50)によると15年10月自宅で小脳出血で倒れ、緊急搬送されその後、千葉県内の病院に入院した。同年12月にナレーションを11年から担当した「ぶらり途中下車」を降板。昨年4月都内の病院に転院し復帰を目指した。肺炎を繰り返し、危険な状況が何度もあったがその度乗り越えたという。

 しかし昨夏ごろ、亜実さんが「おやじでいてくれてありがとう」と声を掛け、藤村さんが「おれもだよ」と応じた会話を最後に話すことができなくなった。今年1月25日は亜実さん1人にみとられ、最期は苦しむ様子もなく穏やかに息を引きとった。この日都内で親族、親交のあった黒沢久雄(71)ら約30人で密葬を行い、ひつぎの中に「グレーのスーツ、ピンクのシャツとハンカチを入れ、口ひげを整えました」。96年に28歳年下の番組リポーターの女性(54)と再婚したが亜実さんによると、13年12月に離婚した。密葬にも出席しなかったという。

 亜実さんは1年を超える入院を振り返って「苦痛や不安も多かったと思うけれど、いつも穏やかで、頑張っているように見えなかった。父は苦しみや不安にとらわれず、すべてを受け入れて『今』を生きていることに気づいた」という。残した手書きのメモに「この世で1番愉快なことは、何かを持っていることではなく、何かを経験できる瞬間」との一文があった。「その心が、ひょうひょうとした生き方の秘密だった。ただ、若い女性が見舞いに来る時は髪を直した。若い女性が好きだったのでしょう」。

 早大中退後、日劇ダンシングチームを経て、パリでダンスを学んだ。帰国後は振付師として「8時だョ!全員集合」で「北海盆唄」をアレンジしたオープニング「エンヤーコラヤ ドッコイジャンジャン コーラヤ」やレナウン「イエイエ」のCMを振り付けした。フットワークが軽く、「巨泉×前武ゲバゲバ90分」で表舞台にも登場。気が乗らないと、ヒョイと帰ることから、あだ名は「おヒョイさん」。「カリキュラマシーン」「ぴったしカン・カン」で人気者になった。俳優としても三谷幸喜作品のドラマ「王様のレストラン」や映画「ラヂオの時間」など多くに出演。とぼけたキャラクターやおしゃれでダンディーな役など、幅広い役柄を演じた。

 東京・南青山でバー「O,hyoi’s」(オヒョイズ)を経営。自ら店に立ったが10年に閉店。私生活では1961年に元日劇ダンサーの女性と結婚して長女と亜実さんをもうけたが、95年に離婚。翌96年に再婚した女性とも最後まで添い遂げることはできなかった。

 ◆藤村俊二 本名同じ。1934年(昭9)12月8日、神奈川県生まれ。早大文学部演劇科中退後、東宝芸能学校でバレエやパントマイムを学んだ。日劇ダンシングチーム12期生としてヨーロッパへ。その後振付師に転向。TBS系「8時だョ!全員集合」のオープニングを振り付けた。日本テレビ系「ゲバゲバ90分」、フジテレビ系「なるほど!ザ・ワールド」などバラエティーで軽妙な味を出して人気に。ドラマ「王様のレストラン」や映画「ラヂオの時間」など、三谷幸喜作品にも多く出演。日本テレビ系「ぶらり途中下車の旅」のナレーションなど、声の分野でも活躍。