浅利慶太さんの訃報を受けて18日、劇団四季出身の俳優市村正親(69)が都内の所属事務所で会見を行った。

 市村はミュージカル「モーツァルト!」大阪公演千秋楽を終えて、急いで帰京した。訃報は公演終了後に聞いたという。翌朝には次の舞台のためニューヨークへたつという、多忙を縫う絶妙なタイミングで入った訃報に、「『ニューヨークでしっかりやってこい』と言われているよう」と話した。

 最後に会ったのは2年前だった。自身の舞台の稽古場が、四季の稽古場と近かったため、時折様子をのぞきに行っていた。「すごい元気そうで、15分くらい話しました。『お前の芝居が見たいな』と。おととし会えていろんな話ができたのは、忘れがたいです」。

 劇団四季には約16年在籍した。浅利さんからもらった数々の言葉は、今でも覚えているという。「役者は女優の斜め後ろに立て」「役を必死に生きれば、役の仮面が透けて役者の顔が見えてくる」「演技は『ハスの上の水たまり』。常にキラキラしていて、同じ形は二度としない」「他人の時計をのぞくな」-。とりわけ、常に劇団で主演を張っていた鹿賀丈史(67)と脇が多かった市村の関係性を例えた言葉「ステーキの横のクレソン」は、自身のエッセーのタイトルにするほど印象深く残っている。「クレソンはステーキになくちゃいけないものなんだ、と。すしにわさびが必要なように、太陽があって月があるように。太陽じゃなくても月の演技をできればいいんだと思った」。真剣なまなざしで話した後、「最近は俺も、にんにくステーキくらいになったかな」と、市村らしくジョークもまじえた。

 浅利さんは市村にとって「偉大な演技のお父さん」だという。「0から教育してもらった。浅利さんの演技論がしっかりと入っているし、言ったことは全部覚えている。今度は僕が後輩たちにつなげていきます」と誓った。