80年代に「ティーンエージャーのカリスマ」として絶大な人気を誇り、92年に急逝した歌手尾崎豊さん(享年26)をしのぶ場所としてファンに愛されてきた東京・足立区の民家、通称「尾崎ハウス」が今日3日、取り壊される。尾崎さんは亡くなる直前、この家の庭で倒れているのが発見された。以来19年間、全国から訪れるファンの交流の場として、住人の小峰忠雄さん(72)が家の一室を開放していたが、このほど老朽化などから建て直すことに。見納めとなった2日は、次々とファンが訪れ「聖地」に別れを告げた。

 静かな住宅街の一角にある「尾崎ハウス」では、翌日の解体を控え、小峰さんらが家具などの搬出作業に追われていた。尾崎さんのポスターやパネルで埋め尽くされていた6畳間にはもう何も置かれていない。小峰さんにとって思い出が詰まった家だが、築65年以上の老朽化もあり、息子夫婦との2世帯住宅に建て替えるという。

 92年、庭の片隅で傷だらけで倒れている尾崎さんを小峰さんの妻が見つけた。尾崎さんは救急搬送されたが、その日のうちに死亡。以後、花束などを持って訪れる多くの人のため、小峰さんは家の一室を開放した。いつしか家は「尾崎ハウス」と呼ばれ、ファン同士の交流の場になった。19年間でファンが書き込んだノートは70冊以上に及んだ。

 最近は訪れる人の数も少なくなったが、取り壊しが決まってからは、再び1日10~15人は来るようになったという。意外なのは「さみしい」という声より「ありがとう」の声の方が多いことだ。「先日は宮城の被災者の方から花束が届いた。お疲れさま、と言ってくれる人もいる」という。

 この日も、ハウスに最後の別れを告げようと次々とファンが訪れた。練馬区の中原宏恵さん(44)は「1度来てみたかった。(尾崎さんは)大人に反発したい気持ちがあっても言えない当時の若者の代弁者のような存在だった」。夫、2歳の娘とともに家族で訪れた葛飾区の工藤真理さん(29)も「最後に来れてよかったです」と話した。

 小峰さんによると、これまでハウスを訪れた人は「数え切れない」。米国からアルバイトでためたお金で訪ねてきた日本人2世もいた。「尾崎さんのおかげで多くの出会いがあった。1度来た人の顔をみんな覚えてる」。ノートやCD、ポスター類はファン有志団体に預け、来春完成する新居に開放できる部屋はない。「もう『卒業』してもいい時期だ。今後はそれぞれの心の中で尾崎さんを悼んでほしい」。小峰さんはさみしげにつぶやいた。【石井康夫】

 ◆尾崎豊(おざき・ゆたか)1965年(昭40)11月29日、東京都生まれ。83年にシングル「15の夜」でデビュー。以後「十七歳の地図」「卒業」など、10代の苦悩や心の叫びを歌詞に乗せた曲でヒットを連発し、若者のカリスマ的存在に。92年4月25日早朝、足立区の小峰さん宅の庭先で、泥酔し全裸で倒れているのが発見され、病院に運ばれたが同日中に死亡。ファン葬には4万人以上が参列した。