<陸上:セイコースーパー大会>◇23日◇川崎市等々力陸上競技場

 さらば、鉄人スプリンター。北京五輪の男子400メートルリレーで銅メダルを獲得した朝原宣治(36=大阪ガス)が有終のラストランに涙を流した。リレーメンバー4人全員が激突した男子100メートルで、日本人トップを死守して10秒37の3位に入った。レース後の引退セレモニーでは号泣してトラックに別れを告げた。会場には北京五輪短距離3冠のウサイン・ボルト(22)も特別ゲストで登場し、花を添えた。

 朝原が駆け出した。最後のゴールへ向かって。スタートで出遅れたのは、力みすぎたから。全身全霊で地球を蹴りつけ、銅メダルメンバーを次々と抜き去る。1人1人へ別れを告げるように。高平を引き離し、末続に並び、ラストはありったけの力で体を投げ出して、13歳年下の塚原を0秒02差で振り切った。10秒37は現役生活20年5カ月の集大成。3位でも胸を張った。

 朝原

 最後にふさわしいレースだった。とにかく味わいながら、1歩1歩を踏みしめながら走った。

 充実の笑顔はやがて泣き顔になった。レース後に末続たちから花束を受け取ると、まぶたが震え出す。もう我慢はいらない。熱い思いは一気に堰(せき)を切り、ほおをぬらした。

 20年間の記憶が涙とともにあふれた。全国大会まで出場したハンドボールをやめて、88年に陸上を始めた。93年に100メートル日本新記録を出すまでは、普通のサラリーマンになるつもりだった。98年から2年間は故障続きで引退も覚悟したが、翌99年の左足首骨折で「逆に吹っ切れた」。運命にも導かれ、36歳まで日本短距離陣を引っ張ってきた。

 ラストランは2万人の大観衆と最愛の家族、世界記録保持者にまで見守られた。「こんな幸せな最後を…」。マイクを握っても言葉にならない。右手で涙をぬぐい、ようやく続けた。「(幸せな)最後を迎えられる選手はそういない。僕はほんとに幸せ者だとつくづく思う」。塚原も末続も高平も、みんな泣いていた。

 現役最後の1年間を支えたのは、自宅に飾ってある1本の赤いバトンだった。アジア新記録を出しながら5位に終わった昨夏の大阪世界選手権のリレーで使用したバトンのレプリカ。4人のサインが書き込んであった。「今度こそ、アイツらとメダルを」。目にするたびに体は奮い立った。

 まだやれるのでは?

 引退を惜しむ声に「もうやりきった。きれいなまま終わるのが僕のやり方」と答えた。朝原流の美学だった。最後は再出発の意味を込め「ファーストラン」と題して100メートルを走った。両手を広げて駆け抜けると、まっすぐゴール奥の観客席を目指した。うるんだ瞳の先には、愛する家族の笑顔が待っていた。【太田尚樹】