大リーグのイチロー外野手(マリナーズ)や、シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子さんらのシューズを手がけた靴職人・三村仁司氏(60)が3月31日、42年間務めたアシックスを定年退職した。今後は、兵庫・加古川市内に工房を立ち上げ、新ブランド「ミムラ・シューズ」(仮称)を設立する。「現代の名工」にも認定された職人芸で、選手を足元からサポートし続ける。

 社員として最後の日も、職人らしく淡々と作業をこなした。足形測定に訪れる選手を1人ずつ、手作業ではかっていく。67年に入社し、74年から特別注文のシューズをつくり始めた。瀬古、宗兄弟、中山、谷口、有森、鈴木、高橋、野口…。日本マラソン史は、三村氏のシューズとともにあった。この日、帰宅する車の中は、労をねぎらう花束で埋め尽くされた。

 定年を迎えたが、情熱は衰えていない。「定年は寂しいもんです。でも、まだまだ夢に向かって努力したいんですよ」。今後は、独自で靴づくりを続ける。既に加古川市内に新工房のための物件を確保。夏をめどに家族を中心とするスタッフ約10人とともに新ブランド「ミムラシューズ」(仮称)を設立する。

 野口みずき(シスメックス)渋井陽子(三井住友海上)らは現在もアシックス製のシューズを愛用する。「選手から電話があったら、ほっとけない」という理由で、4月も週に数回は無給で出社し、測定を続ける予定。ノウハウを受け継ぐアシックス側は、今後も選手のケアには支障をきたさない態勢を取るという。三村氏は「選手を引き抜いたりはしない。良かったら来てもいいよ、と話してます」と説明した。

 独自の感性でシューズに微調整を加え、多くの選手から信頼を得てきた。「最初は右も左も分からず、君原さん、寺沢さん、宇佐美さんの靴をつくった。その時が一番苦労した。(91年世界選手権で)優勝した谷口が第一声で『三村さんのおかげで勝てました』と言ってくれたことが印象深い。思い出はいっぱいありすぎます」。

 靴をつくり始めた時の動機は、シンプルだ。「教員の初任給が1万6000円の時代に、部活で履いていた980円のシューズが1週間で破れてしまった。これはもったいない、もっとええ靴つくったろ、と思いました」。「ええ靴」は、数々のメダリストを支え続けた。退社はするが、職人芸が詰まった靴はまだまだつくり続ける。【佐々木一郎】