<卓球:全日本選手権>◇5日目◇21日◇東京体育館

 愛ちゃんが勝った!

 女子シングルスで、ロンドン五輪代表の福原愛(23=ANA)が涙の初優勝を果たした。決勝で、昨年は準決勝で敗れた石川佳純(18)を4-1と圧倒した。3歳で卓球を始めて節目の20年。今大会のシングルス一般の部に挑戦して13年目で大きな壁を越え、年女の五輪イヤーが最高の形で幕を開けた。

 ほんの一瞬だけ、泣き虫だったあのころに戻った。10-5のマッチポイントから、石川のバックハンドが外れた。大きな歓声と鳴りやまない拍手が、福原の体に響いた。実感が湧かない。「夢なんじゃないか」。コーチを見た。10年間付きそう張コーチが泣いていた。挑んだ12年が走馬灯のようによみがえった。気づけば目頭が熱かった。2人、涙の抱擁。だが、体を離すともう、顔はほころんでいた。心からの笑みだった。

 福原

 まだ全日本チャンピオンになっていなくて肩身の狭い思いだった。女子シングルスだけとれていないのが、すごく大きなプレッシャーだった。やっと肩の荷が下りた。大きな壁を越えることができました。

 何度もはね返されてきた女王の座。前夜も重圧で眠れなかった。だが、磨いた心は強かった。準決勝で平野を4-0で下すと、決勝の石川戦。ミスを恐れて振り切れなかった昨年と、まるで違った。強打を返し続け、右に左に振り回した。

 「自分は挑戦者。思い切って攻めるしかない」。磨いたフォアで力強く相手のラケットをはじき、主導権を握った。最初の3ゲームは1点のリードも許さない。4ゲーム目を落とすも、最後は3-4から5連続得点で戦意を奪った。気合十分な時に出る掛け声「サー!」は40回超。すべての面で、前女王を圧倒した。

 3歳9カ月で始めた卓球。「愛ちゃん」と愛された天才少女は、常に誰かに導かれていた。母千代さんとの二人三脚に始まり、父武彦さんが方針を示した。練習メニューは張コーチが考えた。メディアの露出も含めて道は用意され、福原はただ歩くだけだった。だが、やがて壁にぶつかった。

 09年の横浜世界選手権で石川が8強入りする中、2回戦で惨敗した。ここが分岐点だった。張コーチから離れて1年半、1人で戦った。自分で練習内容を考え、トレーナーに習って体をしぼった。服のサイズはMからSに。「でも、右腕だけ太くなって体重も重くなった。ショックです」。課題のフォアが強くなった証しだった。昨年7月。久しぶりに自室のテレビをつけて、画面の“砂嵐”に驚いた。地デジ化を忘れるほど卓球漬けだった。

 辰(たつ)年生まれの年女。初夢は、卓球だった。「一番緊張する大会で優勝できたので、これ以上緊張することはない」。五輪まであと半年。悲願のメダルへ向かう大切な1年は、最高の結果で始まった。【今村健人】

 ◆福原愛(ふくはら・あい)

 1988年(昭63)11月1日、仙台市生まれ。3歳9カ月から卓球の英才教育を受け、5歳10カ月で全日本選手権バンビ(小2以下)で史上最年少V。小4でプロ宣言。世界選手権は03年に14歳で初出場しシングルス(単)8強。団体戦は4度の銅メダル、11年は混合ダブルスで日本勢34年ぶり銅メダルを獲得。アテネ五輪単16強、北京五輪単16強、団体4位。家族は両親と兄。155センチ、46キロ。