71歳と人間年齢約60歳の人馬が、ロンドン五輪で集大成を迎える。自身の持つ記録を塗り替えて、日本最高齢の71歳でロンドン五輪に出場する馬場馬術の法華津寛(ほけつ・ひろし=アバロン・ヒルサイドファーム)が12日、一時帰国中の都内で会見を開いた。5年半の付き合いで前回北京五輪にも出場した15歳の愛馬ウィスパー(牝馬)とは、今回が最後の五輪と覚悟。50年前と変わらぬ体形を維持する「じじの星」は、人馬一体でロンドンに臨む。

 馬のイラストをあしらったエルメスの黄色いネクタイを締め、71歳とは思えぬ若々しい姿がさっそうと現れた。競技同様にりりしい立ち居振る舞い。大勢の報道陣を前に、法華津はゆったりと口を開いた。「こうやってたくさん集まっていただけるのは、71歳の年齢のおかげ。年を取っていて良かった。71歳である程度、活躍できることが、特にじいさんたちの励ましになるのであれば、こんなにうれしいことはないです」と笑って答えた。

 馬の出来が7割を占める馬術競技とはいえ、世界でも異例の高齢五輪選手。秘訣(ひけつ)は「身体的な若さ」にあった。今月上旬、五輪出場が決まって以降、初めてドイツ・アーヘンから一時帰国した。目的の1つは運転免許の更新。70歳以上に求められる「高齢者講習」を初めて受けた。物忘れも始まり、最近は眼鏡を掛けて新聞を読むようになった。それでも、0・7以上が求められる視力検査は、裸眼でクリアした。

 元子夫人と長女薫さんを日本に残し、1人で暮らすドイツ生活。毎朝7時に起きて20分のストレッチを行い、1日2度の騎乗後、夕方には腹筋30回など40分間のトレーニングを欠かさない。週に4度自炊し、最近は街の市場で見つけた舌平目をムニエルにして、赤ワインとたしなむ。50代後半から体重が増して馬に乗れなくなる選手が多い中で「体形はたぶん、大学を卒業したときと変わっていない。食べ物はそんなに気にしていません」と明かした。

 06年12月に出会った愛馬は、1日で15歳になった。「4年後は無理ですね。ウィスパーと五輪に出るのはこれが最後でしょう。目標はあります。ただ、口に出すと逃げていっちゃいそうでね」。自身3度目、愛馬とは2度目になる五輪。「数え切れないほど乗ってきた中で、一番良い馬」という円熟期を迎えたウィスパーに感謝し、「じじの星」は五輪前最後の帰国の中で静かな決意を胸に秘めた。【今村健人】

 ◆夏季五輪の高齢選手

 法華津が08年北京五輪に出場した67歳4カ月が日本選手過去最高齢。女子は88年ソウル五輪馬術に63歳9カ月で出場した井上喜久子。日本人メダリストでは84年ロサンゼルス五輪で射撃金メダルに輝いた蒲池猛夫の48歳4カ月が最年長。世界では1920年アントワープ五輪射撃のオスカー・スバーン(スウェーデン)の72歳10カ月で、銀メダルも獲得。

 ◆法華津寛(ほけつ・ひろし)1941年(昭16)3月28日生まれ、東京都出身。中学1年から乗馬を始める。64年東京五輪は障害飛越で40位。84年ロサンゼルス五輪は補欠で、88年ソウル五輪は馬が検疫に引っ掛かり出場できなかった。44年ぶりの出場となった08年北京五輪は馬場馬術34位。03年に医薬品会社の社長業を引退し、ドイツに拠点を移して活動。家族は妻と長女。168センチ、62キロ。「法華津」姓のルーツは愛媛・宇和島で、戦国時代に武将の法華津家が城を構えていた。