<フィギュアスケート:世界国別対抗戦>◇最終日◇13日◇東京・代々木第1体育館

 浅田真央(22=中京大)が14年ソチ五輪が行われる来季を持って現役を引退することを13日、電撃表明した。フィギュア界を長年引っ張ってきた浅田が、自らの引退時期に言及するのは初めて。この日の演技後に「集大成にしたい」と答え、来季限りで一線を退く意向を示した。14年3月に行われる世界選手権(さいたまスーパーアリーナ)が競技人生の最後の試合になる可能性が高まった。この日のフィギュア国別対抗戦(最終日)の女子フリーではジャンプを失敗し、117・97点の5位。合計でも177・36点の5位に終わった。

 浅田は柔らかにほほ笑んでいた。宿舎へ帰るバスに乗り込む際、「五輪シーズンが最後のつもりですか?」と報道陣に聞かれた。会場の外で待つファンの「真央ちゃん」の声に手を振りながら、答える時はしっかりと報道陣の方を見た。「今はそのつもりです」。まだ演技後のメークが残るほおを少し緩ませて、覚悟を示した。

 その30分前、フリーを滑り終わった後の取材で、来季への決意を聞かれた時だった。

 浅田

 新しいプログラムを作るのでそこに順応するのと、五輪という最高の舞台で、集大成としていい思いができるようにしたい。

 五輪前年の最終戦。来季のことを聞かれたとき、答えは決めていたに違いない。迷うそぶりも見せず、よどみなく言葉を続けた。

 同じ日本代表の高橋、鈴木らがソチ五輪まででの引退を表明するなか、五輪後の競技生活について「今年に入ってから」考えるようになったという。いつも行動を共にする最も近しい関係者からは「いま引退するのか現役を続けるのか表明して、もし撤回するなら恥ずかしいよ。ちゃんと考えて答えを出したほうがいい」と助言も受けていた。そして決めた決断だった。

 22歳はフィギュア界ではベテランだ。肉体面での変化に悩まされることも多くなった。28歳で現役を続ける先輩の鈴木を見て「あっこちゃんみたいにできるのかな」と思案することもあった。

 ソチ五輪の会場で行われた昨年12月のGPファイナルでは、棄権も考えるほどの腰痛。痛みに耐えて優勝したが「もう子供ではない体なので、この試合で経験して疲労(の蓄積)は自分でも限界を感じている」「(年を)取ったと思う。子供の頃に比べて気持ちは変わらないですが、(年は)体に感じたくなくても感じている」と話していた。

 その兆候は、この日の演技でも。「今までにないくらい苦しかった。体も足も呼吸も苦しいなかで滑っていた」。後半はスピード感がなく、最後のスピンはレベル2の低い判定だった。シーズン最後の試合。体力面の不安に、佐藤コーチは「年々そういうのが出ているのは事実。3回転半の負担があとから出ているのかな」と疲労の蓄積を指摘した。冒頭のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)でも、転倒した前日に続く失敗で2回転になった。

 演技後、投げ込まれたたくさんの花束を「感謝の気持ちを込めて」拾い集めた。応援してくれた高橋ら仲間の元へ帰ると、羽根つき扇子でディスコのお立ち台のように腰をくねらせ、踊った。だが、顔は笑顔でも、納得の演技ができなかった悔しさは、胸の内からは消えなかった。

 2度目の五輪まで、この日がちょうど300日だった。「良いメダルの色が欲しい。そのために最高のレベル、最高の演技をすることで、(そこに)近づけるんじゃないかな。スケート人生で一番良い演技がしたい」。10年バンクーバー冬季五輪での銀より良いメダルは1つだけ。悔しさのなかに収穫があるとしたら、その道筋はやはり険しいと再認識できたこと。覚悟を決めた冬のヒロインの戦いは、その終幕へと向かう。【阿部健吾】