大相撲の元大関魁傑で、放駒親方として日本相撲協会の第11代理事長も務めた西森輝門(にしもり・てるゆき)さんが18日、死去した。関係者によると、都内のゴルフ練習場で体調が急変し、運ばれた病院で亡くなった。66歳だった。

 山口県出身の西森さんは、日大1年の時に花籠部屋入りし、66年秋場所で初土俵。75年春場所で大関に昇進したが、ケガや肝炎に苦しみ、76年初場所で陥落。平幕まで落ちたが、77年春場所で大関に返り咲き。陥落直後、関脇で10勝すれば大関に復帰できるが、これ以外で再昇進したのは、大相撲史上、魁傑だけだ。

 「休場は試合放棄と同じ」という名言を残し、初土俵から79年初場所の引退まで休場はなく、937回連続出場。「クリーン大関」「きまじめ」などと称された。

 引退後、81年に花籠部屋から独立した。親方としては、横綱大乃国らを育て、審判部長や巡業部長などを歴任。10年8月には、辞任した武蔵川理事長(元横綱三重ノ海)に代わり、第11代理事長に就任した。11年2月に発覚した八百長問題の解決に努め、12年初場所後に理事長を退任。13年2月に定年退職していた。