<大相撲秋場所>◇14日目◇24日◇東京・両国国技館

 関脇琴奨菊(27=佐渡ケ嶽)が、大関昇進を確実にした。大関日馬富士(27)を寄り切って12勝目。直近3場所で合計33勝とし、大関昇進の目安を達成した。日本人大関の誕生は、琴光喜以来4年ぶり。今日25日の千秋楽で、日本人として栃東以来、5年ぶりの優勝に挑戦する。

 文句なし。満員の観客を、琴奨菊が納得させた。「左は絶対に差そうと思った」と振り返った通り、得意の形で日馬富士をがぶり寄り。12個目の白星で、大関昇進を当確にした。勝った瞬間の心境を聞かれると「全然実感がわかないです」。大関誕生を確信した場内の雰囲気とは別に、この日も笑顔は封印した。

 取組前の控えでは、栃ノ心が落ちてきて、左ひざを強打した。「それで冷静になれた部分もあります」。取組が終わると、目を閉じた。「勝っても負けても、先代とおじいちゃんにお礼を言っています」。小4の時、角界入りを勧めてくれた先代の佐渡ケ嶽親方(元横綱琴桜)、相撲を教えてくれた祖父・一男さん。天国の2人に、心の中で感謝した。

 日馬富士とは、誕生日が3カ月違い。新十両も新入幕もほぼ同じだが、先に大関昇進を決められた。08年九州場所の終盤「お先に」と声を掛けられた。他意はなかったかもしれないが、今も悔しさは忘れない。心に火が付き、3年かけて大関の座に手を掛けた。

 身長179センチ。180センチ未満の大関は、18年前の若ノ花までさかのぼる。新入幕から40場所かけての昇進は、歴代7位の遅さ。27歳7カ月での大関は、高齢記録の10傑に入る。新十両の時から、40キロ以上も体重を増やし、低く重い体を作り上げて、ここまで来た。

 人生を相撲にささげてきた。小3から相撲を始め、図書館で借りる本は、初代若乃花の著書「土俵の鬼」ばかり。貸し出し欄は「菊次一弘」の名前で埋め尽くした。授業で描いた絵は、若貴のまわし姿。中学と高校は、福岡から高知・明徳義塾へ相撲留学した。そして入門から10年かけて、この日を迎えた。

 まだ感傷には浸らない。「あと一番あるんで、思い切りやって、それからです。最高の相撲を取りたいです」。佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)は弟子を信じ、タイを発注した。地元の福岡・柳川市からは、大応援団がやってくる。満員御礼の観客は、日本人力士が賜杯を抱く瞬間を待っている。【佐々木一郎】

 ◆記録

 日本人大関の誕生は07年秋場所で昇進した琴光喜以来、4年ぶり。日本人力士の優勝なら、06年初場所の栃東以来、5年ぶりとなる。関脇以下の優勝なら01年秋場所の琴光喜(当時は東前頭2枚目)以来、佐渡ケ嶽部屋力士の優勝なら08年夏場所の琴欧洲以来。