17年に「球界初」となる珍しいタイトルホルダーとなった中継ぎ右腕が、ユニホームを脱ぐことになった。9月20日に引退を発表した阪神の桑原謙太朗投手(35)は、個性的な足跡を球界に残してきた。

阪神へは15年にオリックスからトレードで加わった。同年1軍ではわずか6試合。そして16年にはプロ入り後初めて1軍戦登板なしに終わる。戦力外の危機に立ったが、17年に華麗な復活を見せる。67試合に登板し、43ホールドポイント(HP)で最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。65回2/3を投げ、わずか10四球。与四球率1・37は、セで60試合以上救援登板した投手の最良だった。2試合連続の失点は1度もないなど、抜群の安定感だった。

新人を除くと、前年に1軍戦出場のない選手がタイトルを取ったのは、79年山口哲治(近鉄)最優秀防御率、11年藤村大介(巨人)盗塁王に続き3人目。もっともこの2人はこの年が実働1年目で、前年までに1軍戦出場は0試合だった。桑原は前々年まで87試合に登板しており、1年間のブランクが発生した形となっていた。つまり「全休明け」タイトルホルダーは、桑原がプロ野球史上初である。

この活躍が高く評価され、その年のオフには4500万円で契約を更改した。前年の800万円から、実に463%アップ。これは阪神の選手では史上最高の昇給率で、当時は球界全体でも10位にランクインした。同年シーズン終了後には、当時の金本知憲監督が球団に「桑原には(高給を)出してやってください」と掛け合ったという。腕前だけでなく、人柄もしのばれるエピソードである。

横浜(現DeNA)も含め、3球団を渡り歩く貴重な経験も積んだ。まずはゆっくり休み、次のステージでも個性的な活躍を見せてほしい。【記録担当=高野勲】

桑原謙太朗(右)をねぎらう金本知憲監督(2017年5月21日)
桑原謙太朗(右)をねぎらう金本知憲監督(2017年5月21日)