日本高校野球連盟(日本高野連)の田名部和裕理事(73)は1993年(平5)~05年の事務局長時代、サイン盗み禁止に至る過程をつぶさに見てきた。転換点になったのは96年だと明かす。「奇跡のバックホーム」で松山商(愛媛)が優勝した夏の甲子園後、日本代表が米国に遠征した(世界4地域親善高校野球)。

米国戦の5回、巨体の三塁塁審がすごい形相で三塁側の日本ベンチにやってきた。「二塁走者が打者にサインを伝えている。すぐやめさせなさい」。7回にも「一塁コーチが捕手を見て打者に何か叫んでいる」と注意してきたという。

「恥ずかしかった。正直、当時の日本では常識すぎて、アンフェアという認識がなかった」。帰国後すぐ、審判規則委員会で「相手が嫌がることは禁止にしよう」と一致した。2年後の98年12月、日本高野連は指導事項を全加盟校に通知。甲子園では翌99年の春から規則に載せた。

だが発令後も違反は絶えない。サイン盗みはもちろん、客席にOBを配置したサイン伝達、メモ書きをベンチに運ぶ行為まで日本高野連は把握した。今春センバツでも騒動の裏でマナー違反が続発。タッチアップを図る三塁走者の視界に三塁手が立ち、捕球の瞬間を見えないようにする。肘を出して死球を受けにいく行為などが報告されていた。

マナー違反の定義はあいまいだ。サイン盗みも「伝達」の行為が禁止。技術の範囲内にあるものを完全排除はしていない。田名部理事は「相手の動きを観察して作戦を考えるのは許容範囲。けん制のクセを見つけたり、自分で考えて動くのはいい」と解説した。

ただサイン伝達は公式の反則。日本高野連の対策はどうなっているのか。窪田哲之・審判規則委員長(62)は「繰り返し呼びかけるしかない」と極論した。審判に監視役を任せるのは、当連載でアジア野球連盟審判長の小山克仁氏(57)が指摘したように難しい。

記者は先日、窪田委員長に「行けば分かります」と甲子園の黒土に踏み入らせてもらった。二塁に走者がいる際、二塁塁審が位置取るマウンドのななめ後方。塁審は走者に背を向け、投手を見る。走者の動きを見ることはできなかった。

違反を監視する第5審判の配置や、ビデオ検証の採用にも否定的だ。全国統一採用が難しいこともある。だが、何より大きな理由は「そこまでしなくてはならないのか」という、野球の理念に関わる部分だ。

日本高野連の竹中雅彦事務局長(64)は「相手をリスペクトすることがフェアプレーにつながる。それができないというのは野球をする以前の問題。罰則がないから、うんぬんではない。守るのが当然のことなんです」と口調を強める。

戦後すぐに連盟旗に記された「F」にはフェデレーション(連盟)のほかフェアプレー、ファイト、フレンドシップの意味を込めている。今回話を聞いた八田英二会長(70)の思いはシンプルだった。

「私たちが掲げる3つの『F』。それを前提にした人間教育。指導者の方々には高校野球の理想を求めてもらい、原点を見つめて考えてほしい。約16万人の球児には高校野球を通して何かを得てほしいと願っている。甲子園を目指し必死に戦っていく中で、その過程を大事にしてもらいたいのです。我々は球児の純心さを信じています」【柏原誠】

◆田名部和裕(たなべ・かずひろ)1946年(昭21)2月27日、神戸市生まれ。関大野球部出身。卒業後の68年に高野連事務局入り。93年に第6代事務局長に就任。05年まで同職で4人の会長の下、阪神・淡路大震災後の大会運営、特待生問題などに尽力した。参事を経て10年から理事。