巨人の2軍投手コーチだった07年に「千葉にすごい投手がいる」と話題になった。何かの拍子でスカウト会議に参加することになり、当時のドラフト候補の映像をチェックすることに。成田高校の唐川侑己投手を見させてもらった。

成田高時代の唐川侑己投手(07年7月撮影)
成田高時代の唐川侑己投手(07年7月撮影)

最初の印象として、少しひ弱な感じを受けたことを記憶している。しかし、雰囲気、投球、ゲームセンスなどは素晴らしいと感じた。投球フォームは人それぞれで評価は異なるが、見る限りでは手の付けようがないほど完成されていたし、文句なしのドラフト1位候補だと直感的に思った。

直球のコントロール、キレ、縦に大きく割れるカーブ、スライダーを見ても言うことはなかった。高校生の投手を見る上では、いかに伸びしろがあるかが大切なのだが、これだけのまとまりがある投手は非常に珍しかった。予想通り、1年目から1軍で先発し5勝を挙げた。

縁というのは不思議なもので、13年からロッテの2軍投手コーチを務め、唐川と出会った。不調で2軍に降格してきた16年が忘れられない。

対話から始めた。爽やかで、うそのない姿勢に好感を持ち、二人三脚が始まった。高校時代の映像を見ていたことが役に立ち、不調の原因はすぐに分かった。「チェンジアップに取り組んでから、ストレートが走らなくなった」とのこと。

新たな落ちる球を操る方法として、体を正対させ、インパクトで手首を利かせず、そろばんを縦になでるような形が自然と染み付いたのだろう。これはチェンジアップを投げる時の錯覚であり、陥りやすい弊害といえる。

「チェンジアップ投法」の改善に向け、ゴロ捕球後に遊撃から一塁へスリークオーター気味に送球させた。テークバックは、上からでも、横からでもトップまではほぼ同じ。

彼の場合、上投げよりスリークオーターの方がヘッドが利くと判断した。足を動かし、体全体で投げる意識を思い出させるのも狙いの1つ。当時、唐川がサイドに転向したとうわさが流れたが、原点に立ち返るために必要な練習だった。

「1軍に呼ばれた最初の登板で、とにかくインパクトを出そう。自己最速を更新しよう」と目標を立てた。

見事にクリアするだけでなく、今では日本で指折りのカットボールを操るリリーバーへと進化した。今年の巨人とのオープン戦の登板を見ても、相手が分かっていてもカットボールで勝負し、完璧に抑え込んだ。ここまで来ると本当の勝負師と言える。

デビューから先発だった彼を、セットアッパーに配置転換した監督、コーチの決断も素晴らしい。まさに持ち球によっての適材適所であったように思える。もともと持っていた資質を素直な心と探求心で洗練させ、鮮やかな輝きを放っている。(つづく)

小谷正勝氏(19年1月撮影)
小谷正勝氏(19年1月撮影)

◆小谷正勝(こたに・ただかつ)1945年(昭20)兵庫・明石市生まれ。国学院大から67年ドラフト1位で大洋入団。通算10年で24勝27敗。79年からコーチ業に専念。11年まで在京セ・リーグ3球団で投手コーチを務め、13年からロッテで指導。17年から19年まで再び巨人でコーチを務めた。