新基準の金属バットの導入で、高校野球はもっとおもしろくなる-。センバツ1度、夏2度の優勝を誇り、甲子園で通算51勝の帝京・前田三夫名誉監督(73)が、自身の監督生活を振り返りながら、来春から完全移行する反発力を抑えた新基準の金属バットについて語った。

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バットの変化を選手として監督として、現場で体感してきた。24年、また岐路を迎える高校野球について「試合を見る人、ファンの楽しみが、もっと増えていきますよ。おもしろい高校野球が見られます」と予告する。

自身が高校時代に木更津中央(現木更津総合)でプレーし、帝京大を経て帝京の監督に就任した際には木製バットの時代だった。赴任して2年後の74年に金属バットが導入された。

83年3月、敗れて、ベンチ前で池田の校歌を聞く帝京の前田監督(右端)と選手たち
83年3月、敗れて、ベンチ前で池田の校歌を聞く帝京の前田監督(右端)と選手たち

当時、選手と一緒に練習で打ったことを覚えている。「試打を頼まれて、選手と一緒に振りました。1回ボールを打ったらへこんでしまうバットもありました」と振り返る。公式戦の際には、試合前に審判によるバットのチェックが入る。少しでもへこみがある場合は危険なため、使用できない。「審判に使わないでと言われたバットを練習から愛用していた選手が、試合で急にバットを変えざるをえなくなって嘆いたこともありました」。今となっては、笑い話だ。

帝京のフィジカルトレーニングの歴史には、金属バットが大きく関わっている。3度目のセンバツ出場を果たした83年、初戦で金属バットを使った強力な「やまびこ打線」を擁する82年夏の優勝校、池田(徳島)と対戦。14安打を許し、0-11で大敗。池田はセンバツも制し、夏春連覇を達成した。池田の選手たちの体を見て「パワーをつけないといけない」と実感。筋力トレーニングに取り組み始めた。さらに、三宅島出身の中村雅年野球部部長の提案で、水泳も採用。冬の期間は筋力トレーニングを月、水、金。水泳を火、木、土と週3日ずつ行った。「ひと冬を越えた選手たちの体は、もう全然違いました」。89年の夏の甲子園初優勝など、その後の成績につながっていく基盤となった。

インタビューに答える帝京・前田名誉監督(撮影・保坂恭子)
インタビューに答える帝京・前田名誉監督(撮影・保坂恭子)

近年では高校球児の筋トレだけでなく、食事トレーニングも当たり前になった。筋力も打力も格段に上がり、今回の新基準バットは投手の受傷事故防止と、投打のバランスの見直しの観点から導入が決まった。「最近は、打って打って打ちまくったチームが勝つ試合が多かったように感じます。これからまた違った、多様性のある学校が出てくるんじゃないかなと思います」と期待する。

木製バットの時代は、盗塁や犠打、エンドランを仕掛けることが多かったという。「以前は強いチームとやっていても、なかなかコールドゲームはなかったんですよ。いつも緊迫していて、点差はそんなに離れなかったんです」。僅差の試合で1点をどう相手からもぎ取るか、必死に作戦を練っていた。

「僕もね(試合で)走らせるのが大好きでした」と笑顔で明かす。東東京大会で1イニングに7回、初球エンドランのサインを出し続けたことがある。途中から相手も警戒してボールを外すが、選手は飛びついてバットに当てて転がせた。「点差が離れていたので、ばくちでしたね。ウエストされても打つための練習をしていましたから」。

1点を取るために重要な攻撃が小技。盗塁や犠打が効果的になる。「そこに、また野球の面白さがあります。ダブルスチールやツーランスクイズ、ディレードスチール。ただ打つのを待つだけではないんですよ。地道に点数を稼げるチームをつくっても、おもしろいと思う」。そうなると、各分野の“職人”が輝く。走塁技術が高い選手、緊張感のある場面でも犠打をきっちり決められる選手。得意分野を伸ばすことも求められる。

帝京・金田優哉監督
帝京・金田優哉監督

21年秋から帝京の指揮をとり、今年の春季東京大会で優勝した金田優哉監督(37)には「今度は、それに合った野球をやればいいんだよ」とアドバイスを送った。バットが変わることで、どうチームに影響があるか。際だつのが監督の手腕だ。「投手有利になるんだろうけれども、1点2点の競り合いになる。そこに監督の采配が入っていきますからね」。その年の選手の特性によって、チームの方向性も変わる。さらに打撃に力を入れる指導者もいるはず。「それでも遠くに飛ばしたいなら生徒と体を鍛えて、強くするでしょう」。

木製に近い、“飛びにくい”バットが導入されることは、進化の1つととらえる。「以前の野球に戻るということではない。こういう野球も忘れてはいけないよと。走れて(犠打で)送ることもできる。そういう多様性があれば、チームは本当に強くなります」。金属バットの導入から来年で50年。高校野球が発展し続けるための局面を迎えている。【保坂恭子】

◆前田三夫(まえだ・みつお)1949年(昭24)6月6日、千葉県生まれ。木更津中央(現木更津総合)では内野手で甲子園出場なし。帝京大卒業と同時に帝京監督に就任。甲子園は78年春の初出場から春14度、夏12度出場し、春は92年、夏は89、95年に優勝。通算51勝は、渡辺元智監督(横浜)に並ぶ歴代5位。21年夏で勇退し、現在は名誉監督。