「令和の怪物」大船渡・佐々木朗希投手(3年)を見に岩手に行ってきた。大型連休真っただ中の1日に東京を出発、6泊7日の長い旅になった。

住田対大船渡 1回表住田無死、令和初戦の第1球を投球する大船渡・佐々木(撮影・足立雅史)
住田対大船渡 1回表住田無死、令和初戦の第1球を投球する大船渡・佐々木(撮影・足立雅史)

【1日】

出張支度をしていつものように午前6時半に出社。ルーチンワークをこなしていると既に岩手入りしているK記者から午前8時過ぎにLINEが入った。「佐々木初戦は3日に延期になりました」。雨のためこの日、釜石市で予定されていた春季岩手大会沿岸南地区予選の1回戦2試合が中止になった。つまり2回戦から登場する大船渡の試合も1日スライドして3日になったのだ。雨の予想はしていたが、100%ではない。既に新幹線の切符は取ってあるし、釜石市内のホテルも予約済み。なにしろ世の中は大型連休中。キャンセルしたからといって簡単に変更できるとは限らない。デスクに事情を話して予定通り、岩手に向かって出発させてもらうことにした。

13時過ぎ、仕事を切り上げ東京駅へ。東北新幹線でまずは新花巻まで。そこから釜石線に乗り換えて釜石へ。釜石線に乗るのは初めてだった。列車名は「快速はまゆり号」。これだと7駅、1時間半。各駅停車だと21駅、約2時間かかる。トコトコと列車に揺られていると19時半過ぎ、釜石に到着した。会社を出てから約6時間かかった。

釜石はドライブ旅行で過去に2度ほど訪れたことがあるが駅を降りたのは初めて。ホテルまでは徒歩12分とあったが、すでに真っ暗。土地勘もなし。荷物も重いのでタクシーを使ってホテルにチェックインした。部屋に荷物を置き1階のフロントロビーに降りるとK記者が待っていた。新幹線車中から「20時頃到着予定」と連絡しておいた。K記者はすぐ近くに宿を取っていた。近くの居酒屋さんで「令和」を祝い乾杯。明日以降の作戦会議を開いた。

【2日】

早朝4時半に起きてテレビとネット情報を見ながらヤンキース田中将大投手の登板試合をホテルの部屋から速報。一仕事終え、1回戦が行われる平田(へいた)運動公園野球場に向かうことにした。

ホテルから徒歩で釜石駅へ。最寄り駅の平田までは三陸鉄道リアス線で一駅。乗車時間は4分だ。2両編成の列車に乗るとすぐにトンネルに入った。トンネルを抜けると平田に着いた。高架にある無人駅。私も含め下車したのは3人。階段を降りたが、球場がどちらの方向にあるかさえ分からない。一緒に降りた2人はいつの間にか姿を消していた。さて困った。周囲を見渡すと民家、クリーニング店、釣りえさ店があった。そこで行き方を聞こうと思ったが両店とも閉まっていた。どうしようかと思っていたら近くにあった自販機に、原チャリでジュースを買いにきたおじさんを発見。急いで駆け寄り「野球場にはどう行けばいいですか」と質問。するとおじさんはニヤリと笑うと約50メートル程先の交差点を指して「あの大きな通りを右。坂道を登っていけば球場があるよ。20~30分かかるよ」と教えてくれた。

大きな通りとは国道45号線。言われた通り右に曲がって国道を歩く。緩やかな坂道が延々と続く。しばらく歩くと「過去の津波浸水区間 ここまで」という標識があった。釜石も東日本大震災で1000人以上が亡くなるなど大きな被害を受けた。街のところどころに津波がこの高さまで来たという印が付いている。宿舎ホテルも2階付近まで津波が来たようでマークが付けてあった。さて坂道を登り続けて10分。球場らしきものがあるとは思えない山道。疲れと同時に不安が募ってきた。歩いているのは私だけ。それでも歩を進めていくと突然、球場の照明灯らしきものが坂の向こうに見えた。おじさんが教えてくれたとおり20分で球場入り口にたどりついた。涙までは出なかったがちょっと感動した。

スタンドに入るとかなりのお客さんで埋まっていた。ネット裏に座ると、すでに球場で取材中のK記者に連絡し合流。第1試合の住田-大船渡東戦を一緒に取材した。この試合の勝者が明日3日の大船渡の相手になる。結果は部員わずか9人の住田が8-3で大船渡東に快勝。明日の2回戦で佐々木の大船渡と対戦することが決まった。

試合後、住田の吉田一知監督を取材。監督さんはうれしそうだった。「勝ったのは3年ぶりだか4年ぶり。今の3年生は公式戦に勝ったことがなかった。一冬、二冬、頑張ってきたかいがありましたね」と目を細めた。今春1年生4人が入部しようやく9人が揃った。まさに住田ナイン。彼らが明日、佐々木投手の163キロ豪速球に立ち向かうのだ。ただこの試合中に三塁手が打球を受けて右手を痛め、一塁手は足がつり試合後病院に向かったという。9人揃うのかという不安も残った。監督さんに佐々木投手について質問すると「死球だけは避けたい。ベースから50センチ離れて立てと言いますよ」と笑った。

取材を終え再び釜石市内に戻ることにした。帰りは下り坂。15分ほどで平田駅に着いた。ところが列車が定刻通り来ない。この日は風が強かった。三陸リアス線は強風の影響で遅れることが多いという。結局15分ほど遅れて列車が到着。無事釜石駅に着いた。ホテル近くのイオンへ買い出し。冷凍パスタ、瓶詰の塩ウニ(980円=これは美味でした)、缶ビールを買ってホテルへ。明日はいよいよ大船渡戦。早朝の出発に備え早めに休んだ。

【3日】

集合時間は午前4時半。私のホテル1階にあるコンビニ前。K記者のレンタカーでAカメラマンも合流し3人で出発。国道45号線で平田球場へ向かう。途中、釜石大観音、さらに海の向こうにオレンジ色の朝日が昇るのが見えた。感動的な景色だった。

午前5時前に球場到着。私の任務は佐々木投手の投球内容を1イニングごとに速報すること。小規模な球場なのでスタンド下の室内に記者席はない。スタンドのどこかに席を取る必要があるのだ。車を降りてスタンドに向かうと既に10人近いファンがいた。まだ入場券は発売前。最初は我々の同業者かと思ったが違う。一般のファンだった。球場は自由に出入りできるためまずは席を確保。入場券が売り出されたらそこに荷物を置き席をキープしたまま切符を買いに行く、というのが「岩手ルール」のようだった。

私も席を取ってノートパソコンを開いた。今回は電源の無い青空記者席を覚悟してモバイルバッテリーを持参。無事セットアップできたが、早朝ということで寒い。震えているとファンの一番乗りは午前3時半だったとK記者が取材してきた。それを速報記事にしてアップした。時間が経つにつれどんどん席が埋まっていく。私の隣にはMLB球団のスカウトが座った、前の席にはソフトバンクのスカウト、K記者、他紙の記者も席を確保した。

午前9時、プレーボール。スタンドはいつの間にか立ち見が出るほど満員にふくれあがっていた。そんな中、佐々木投手が「令和」初球を投じた。果たして何キロが出たのか、スカウトのスピードガンに注目したが135キロ。やや拍子抜けしたが、用意しておいた速報記事に「令和初球は135キロ」と入れてアップした。さらに1回を終えたところでテキスト速報を更新。高校野球はテンポが速く気が抜けない。さらにスカウトのスピードガンのチェックもしなければならない。目が回るような忙しさだったが佐々木投手は3回を1安打無失点に抑え、大量リードもあり、マウンドを降りた。試合は17-2で5回コールド勝ち。最速は140キロだった。

試合後、まずは国保陽平監督を取材。まず第一声が「ケガ無く終われて良かった」。将来性豊かな日本球界の宝を預かっているがゆえに出たコメントだろう。スピードを抑えた理由については「骨密度を測定したところ、まだまだ大人の体ではない。球速に関する期待はありますが、スピードに耐えられる体じゃない」と説明した。測定前の日本代表合宿で163キロが出てしまったが、そのままの出力で投げ続けると故障のリスクが高いということか。全力投球を見られなかったのは残念だったが、監督さんの気持ちは十分に理解できた。

監督取材を終えると、球場脇にあるクラブハウスで佐々木投手の囲み取材に加わった。初めて近くで見る佐々木投手はやや色白。それでも取材を受ける態度は堂々としていた。この日は球場レコードの2800人の観客が訪れた。観衆の多さが与える影響について質問されると「多くても少なくても変わらないと思います」と答えた。なかなかこういう答えをする高校生は少ないのではないか。ハキハキというよりも淡々という受け答えだったが、自分の考えを貫く意思の強さを感じさせた。

取材が終わった。大急ぎでコメント入りの速報記事をアップ。早朝からずいぶん長い時間が経ったと感じた。しかし時計を見るとまだ昼すぎ。K記者のレンタカーに東北総局から来たN記者も同乗し釜石市内に戻った。N記者は前夜仙台からバスで釜石に入ったという。この後、取材のため秋田・能代市に移動するという。「7時間かかります」とN記者は言い残し釜石駅で車を降りた。東北は広い。

K記者とイオン内にある「南部屋敷」という岩手県のチェーン和食店で昼ご飯を食べて解散。当初はここで一度帰京する予定だったが、3日後の6日には次の試合が控えている。5日にはまた岩手に入らねばならない。連休中の移動は大変だ。デスクに話して帰京せずそのまま岩手に滞在することを了承してもらった。

ただ宿舎は同じホテルが満室で隣のホテルに移動。チェックインは15時。まだ1時間ほどあったので、荷物をフロントに預け、徒歩10分の釜石港エリアへ。海をながめながらニッカンコムで記事を担当している野球好き歌手・河野万里奈さんに前回記事のPV(閲覧)数などをメールで報告。すると「なんかロンロン(日本ハム王柏融)を応援しまくっていたら台湾でニュースになってるみたいです!」と返信が来た。2月に「野球好き歌手がチョコを渡したいプロ野球選手27人」という記事を書いてもらったがその中に王柏融選手も入っていた。「日刊スポーツさんで書かせて頂いた記事が大きなきっかけになっているので本当に感謝でいっぱいです!! これからもがんばります!!!!」。河野さんは今月15日に「真人間入門」という新曲をリリースする。日本でも台湾でもヒットすることを釜石から祈った。

【4日】

試合がないので大船渡に行ってみることに。ただし大船渡高は試合以外の取材はできない取り決めになっている。それでもせっかくなのでどんな学校かだけでも見てくることにした。

釜石駅から三陸リアス線に乗り終点の盛(さかり)駅へ。約50分。そこから徒歩15分ほどで学校に着いた。小高い丘の上に校舎、グラウンドがある。ただ取材は厳禁ということなのでここまでにした。校門から校舎まではかなりの急坂。遅刻しそうになったらこの坂を駆け上がらないといけない。佐々木投手が大きなストライドでこの坂を駆け上がっている姿を想像しながら駅に引き返した。

ネットで駅の近くに地元民に人気の食堂を発見。昼ご飯にしようと向かったが、休業日の札がかけられてありガックリ。釜石に引き返した。夕飯は地元有名店で「釜石ラーメン」。あっさりしょうゆ味でメンマ、チャーシュー、ネギが乗って550円。おいしゅうございました。

【5日】

この日は釜石を出て大船渡の次の試合がある住田町まで移動しなければならない。まずは前日同様、釜石駅から三陸リアス線で盛へ。ここからバスで住田町へ向かうのだが、発車まで1時間以上ある。「そうだ、あの店に行こう」。前日はお休みだった食堂へ行ってみた。この日は開店。名物のカツカレー(980円)を注文した。バスの時間が気になり壁掛け時計を気にしていたらおばちゃんに声をかけられた。「何時のバスですか」。時間を告げると「大丈夫ですよ。間に合います」との返事。間もなく大盛りのカツカレーが登場した。そう、ここは大盛りの店。入り口に「ボリュームたっぷりの店! 大盛注意の店!」と張り紙がしてある。バスに間に合うように必死でかきこむ。辛口というより甘めの味付けだったが無事完食。会計をする時にさっきのおばちゃんに聞いてみた。「大船渡高校の噂の彼もお店に来るんですか」と。おばちゃんはうれしそうに「時々来ます。カツ丼を食べてますよ」と話してくれた。カツ丼にすればよかったと一瞬後悔したが、まぁいいか。佐々木投手が大盛りのカツ丼をかきこむ姿を想像しながらバス停へ向かった。

盛駅前から住田町の世田米本町までバスで25分ほど。この日は翌日に備え会場の住田町運動公園野球場から徒歩5分というホテルに泊まる。ホテルにバス停からの行き方を聞くと迎えに来てくれるという。感謝。チェックインして窓のカーテンを開けると野球場の照明灯が見えた。荷物を置いて歩いて球場の下見に。敗者復活戦の釜石-住田戦の真っ最中でかなりのお客さんが入っていた。スタンドはネット裏がわずか3段しかないコンパクトな作り。恐らく200人も入ればいっぱいだろう。「明日は大変なことになる」と不安な気持ちになった。明日に備えホテル隣のスーパーで総菜とビールを買い、テレビで「いだてん」と「集団左遷」を見て早めに寝た。

大船渡の食堂で食べたカツカレー
大船渡の食堂で食べたカツカレー

【6日】

午前4時に起床。天気予報では午後から雨。それでも曇ってはいるが雨は降ってきそうにない。荷物をまとめてフロントへ。キャリーバッグは預かってもらい球場へ向かう。時計を見るとまだ4時半。さすがに誰もいないだろうと思ったが、いた。熱心なファンがすでにネット裏スタンドの特等席を抑えていた。

こちらも席を確保したが、この日は岩手県高野連から取材自粛要請が出ていた。記者席はなく、スタンドでの取材になるが座席数があまりに少ないからだ。一般ファンを優先するため報道陣のスペースは一、三塁側と外野(センター方向)の3カ所に設置されていた。いずれも座る場所はない。

これは困った。午前7時から報道受付けが始まった。取材パスをもらい高野連の先生に聞いてみた。「日刊スポーツです。試合をリアルタイムで速報したいのですが、スタンドの席で仕事させてもらえませんか」と。すると先生方は数秒考えると「じゃあ、入場券を買って入ってもらって席が取れたらそこでやってください」とお許しが出た。急いで入場券売り場に並び500円でチケットを購入。何とか仕事ができる環境が整った。

午前10時、第1試合の釜石-大船渡東戦が始まった。6回を終えると第2試合の大船渡-高田戦のスタメンが発表された。K記者が電話をくれた。「4番ライトです」。既に大船渡は県大会出場を決めておりこの試合は順位決定戦。佐々木投手が登板するかは微妙だったが、やはり先発マウンドには立たない。隣に座っていたDeNAのスカウトにその旨を教えるとガックリした表情。それでも帰れない。私も帰れない。ひたすら待つしかない。

予定通り12時半に第2試合が始まった。4番に入った佐々木投手は第1打席で先制の右前タイムリー。その後も安打を重ね4打数4安打。登板しなかったがバットで存在感を見せつけた。DeNAのスカウトに「お疲れさまでした。次は県大会でお会いしましょう」と話して別れた。

試合後は佐々木投手の囲み取材に参加。チームの快勝にも浮かれた様子はない。「県大会では観客のみなさんを味方につけられようなプレーをしたい」と意気込んでいた。

結局、160キロを超すストレートを見ることはできなかった。ただ、投げるにしても打つにしても、力むことなくプレーできる選手だと感じた。昔、投手出身のプロ野球のある監督が言っていた。「10の力で10のボールを投げても打たれる。7か8の力で10のボールを投げられるようにならないと1軍では使えないよ」。2軍で150キロを超す豪速球を投げる投手について聞いたときの答えがこれだった。佐々木投手ならこれが出来るのではないか。ただ、いつの日か彼のリミッターを外した全力投球を見てみたい。

取材が終わった。さあ、どうやって帰ろうか。K記者は一ノ関まで車に乗せてくれると言う。ただ、新幹線の時間もありかなり急いでいるようすだった。こちらは荷物を取りにホテルに戻らねばならない。足手まといになるのも悪いと思い、球場で別れた。ホテルに戻りネットを開く。近くから盛岡行きのバスが出ていた。ただ2時間半以上かかる。一番早いバスで盛岡着が19時20分。まだ東京行きの新幹線には間に合いそうだが、大型連休ラスト。切符が無ければ戻れない。盛岡で「難民」になるのも困るので盛岡に泊まることに決めた。ホテルのロビーで速報記事を書いた。ホテルの人が「バス停まで送りますよ」と言ってくれた。私一人のためにマイクロバスを出してくれた。バス停まで送ってもらい盛岡行きのバスを待った。定刻を過ぎても来ない。「もう行ってしまったのか」。不安にかられること10分。ようやくバスが来た。乗客は私を入れて6人。発車してしばらくすると雨が降り出した。試合中に雨に降られなくてよかった。深い山の中を走るバスの中でなぜかホッとした。

19時半に盛岡駅前に到着。ホテルに向かったが道が分からない。電話して聞いてみたがかみ合わずいつまでたっても到着できない。以前利用したホテルは東口だったが、今回は初めての西口。結局、ホテルの人が迎えに来てくれた。駅から徒歩5分のはずが30分近くかかってようやくチェックイン。疲れがどっと出た。

それでも岩手最後の夜である。食事に出かけることにした。駅前の居酒屋さんに入りまずは岩手の地ビールを注文。お店のマスターにお薦めを教えてもらい地酒へ。釜石の「浜千鳥」を飲んだ。マスターに釜石と住田町で大船渡・佐々木投手を見てきたと伝えると喜んでくれた。

「(菊池)雄星が出たと思ったら次は大谷。さすがにもう出ないだろうと思ったら今度は佐々木くんだからね。僕らもびっくりですよ」。そこで「なぜ岩手から次々とすごい選手が出るんですか」と聞いてみた。マスターは「のんびりした場所でノビノビと育つからかなあ。昔も良い選手はいたんでしょうけど、関東や関西の高校に行ってもついていけない子が多かったのでは」と解説してくれた。なるほどなあ。そんな話をしつつ最後の夜は更けていった。

試合後、取材に応じる大船渡・佐々木(撮影・足立雅史)
試合後、取材に応じる大船渡・佐々木(撮影・足立雅史)

【7日】

朝6時に起きて会社のデスクに電話。まだ岩手にいることを伝え、この日は移動日休暇としてもらった。午前10時50分発の「はやぶさ」で東京へ向かう。次の岩手出張は17日開幕の岩手県大会。メイン会場は三陸北部の野田村だという。今度はどうやって行こうか。そんなことを考えているとあっという間に東京に到着。わずか2時間14分。遠いようで近い、近いようでやっぱり遠い。岩手の広さ、人の温かさを感じた1週間の旅が終わった。