衝撃のバックスクリーン弾を、智弁和歌山監督の高嶋仁は甲子園三塁側室内のテレビで見届けた。劣勢をはね返し、馬淵史郎率いる明徳義塾はサヨナラ勝ち。「やっぱり、しぶといわ」。高嶋の表情が引き締まった。「うちも勝たんといかん」。明徳義塾に続く第2試合の三塁側、ベンチ前中央の定位置にどっかりと仁王立ちした。

 出会いは24年前にさかのぼる。94年センバツを制した際、理想の指揮官を問われた高嶋は「籠尾監督です」と土佐(高知)の名将、籠尾良雄(02年に68歳で死去)の名を挙げた。それを知った籠尾はセンバツ後、智弁和歌山を招待。そこに入ってきたのが馬淵だった。馬淵は「うちともぜひ、試合を」と頼み込み、結局智弁和歌山は土佐との招待試合の前日、明徳義塾と練習試合を組んだ。そこから付き合いが始まり、ともに甲子園に出たときには抽選会前日の食事会が恒例になった。

 各地の有望な中学生や練習試合の設定などが、主な話題。高嶋に誘われ、食事会に参加するようになった大阪桐蔭監督の西谷浩一は「ええ中学生はみんな大阪桐蔭に行くなあ」とつるし上げにあう。甲子園春夏5度の優勝監督も、高嶋と馬淵にかかれば“若輩”の身。ただ会話の中に、西谷は2人の神髄を見る。

 「勝負への執念、絶対負けへんというものはいつも感じます。高嶋監督は『打ち勝つ』、馬淵監督はしぶとく『耐えて勝つ』。野球のスタイルは全然違います。性格も、馬淵監督の気遣いは本当にきめ細かい。優しいし、気配りができるし、関わる人みんなを見ておられます」。言いたい放題に言っているように見えて常に相手のことを考える馬淵の性格も知った。

 14年秋の長崎国体。長崎生まれの高嶋は出られなかった。「高嶋さん、来たかったやろうな」とつぶやいた馬淵は、名物の豚まんを高嶋に届けた。「何や? いやみか?」という高嶋の電話に、馬淵は「西谷ですわ」と答えて西谷を慌てさせた。むろん高嶋は、馬淵の真意を分かっていた。

 昨秋の明治神宮野球大会2回戦の朝に、馬淵は95歳の母、中本アキさんを亡くした。高嶋は、馬淵に告げずに愛媛・松山に飛んだ。アキさんに線香をあげるため。詳しい住所を知らず、たずね歩くうちに馬淵の知るところになってしまったが、馬淵の気遣いの人柄を知る高嶋の心遣いだった。

 前日24日は明徳義塾のあとに智弁和歌山が練習し「智弁と試合するまでうちは負けん。頑張れ、とうちの選手を励ましてくれました」と高嶋は笑った。明けて25日。明徳義塾の劇勝に、智弁和歌山も粘勝で続いた。(敬称略)【堀まどか】