04~06年の夏甲子園で3年連続決勝に進出した駒大苫小牧を、06年南北海道大会準決勝で1安打に抑えた北照・植村祐介投手。のちに日本ハムに入団し、現在2軍チームスタッフを務める右腕の快投を振り返る。

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 怒号で、われに返った。「おいっ、植村ぁ!」。その声が届くまで、北照のエースはマウンドでぼうぜん自失だった。駒大苫小牧に0-1の8回1死満塁、強いゴロを三塁手がはじいた。主戦は転がる白球を目で追うしかできなかった。「諦めたわけではないけど、あっと思った」。3四球と失策、難敵相手に決定的な2失点だった。

 怒鳴り声を上げたのは後輩の2年生捕手だった。のちに育成ドラフトで巨人に入団した谷内田敦士(現警備会社勤務)は回顧する。

 谷内田 8回の植村さんのぼうぜんとした顔が忘れられない。「植村さ~ん」と呼んでも耳に入らなくて、正気に戻さなくてはと思い、1個先輩ですが、怒鳴ったことを覚えている。

 06年南北海道大会準決勝で、植村は田中将大(現ヤンキース)率いる駒大苫小牧と激突した。04、05年夏の甲子園で連覇達成の強敵を倒す。この目標へ、練習から強打を封じるための内角攻めを意識し、本番を迎えた。月曜日にもかかわらず札幌円山の内野スタンドは満員で、外野芝生席が開放される盛況ぶり。観衆は推定1万5000人。「鳥肌が立った」。植村は前年決勝で1点差負けした雪辱に燃えていた。

 プロ注目右腕の投げ合いは、5回に均衡が破れた。1死三塁から、植村が8番打者山口就継に投じたフルカウントからの内角直球を左中間に運ばれた。7四球と制球は乱れたが、終わってみれば被安打はこの三塁打1本だった。

 植村 攻め方は悪くなかったと思うけど、ポテンヒットでも1点。状況を考えたらどうだったか。ムキになって何が何でも内角にいっていた。今思えば冷静に外角でも良かったのではと。

 0-3で敗れたが、5番田中ら中軸から計5奪三振。04~06年まで夏の北海道内公式戦で21戦無敗だった駒大苫小牧を苦しめた。完投して1安打に抑えたのはもちろん植村だけだ。当時北照の部長で、現監督の上林弘樹は「ふだんおとなしいタイプでも、気持ちの入ったこれ以上ない投球だった」と振り返る。

 駒大苫小牧の監督だった香田誉士史(現西部ガス監督)も記憶を紡いだ。

 香田 試合後、記者に「厳しい試合でしたね」と質問されたが「いやいや、会心の試合でした」と。打ち勝つのもチームとしてのポイントだったが、打てなくても勝つ。それをずっと取り組んできましたからね。

 翌日の決勝で18安打を放った駒大苫小牧が目指していた究極の白星。演出したのは植村の熱投だった。

 植村は現在、日本ハムのチームスタッフとしてファームを支える。

 植村 この試合がなければプロにも入っていないと思う。自分の財産。日本の宝、マー君と投げ合えたことは誇りです。

 当時の植村の映像は、今でも北照投手陣の教材だ。上林は「勝ち気なところ、いいお手本です」。誇るべき被安打1の敗戦投手だった。(敬称略)

【村上秀明】


▽06年南北海道準決勝(札幌円山)

北   照

 000 000 000 0

 000 010 02X 3

駒大苫小牧

【北】植村―谷内田【駒】田中―小林


06年7月、北照―駒大苫小牧戦の5回、山口(後方)に適時打を浴びた北照・植村
06年7月、北照―駒大苫小牧戦の5回、山口(後方)に適時打を浴びた北照・植村