元楽天投手の寺田龍平氏(28)が、入団当時を振り返った。北海道で随一の進学校、札幌南からの高校生ドラフト1巡目とあり、話題になっていた。


現役時代や引退後について語る寺田龍平さん
現役時代や引退後について語る寺田龍平さん

 寺田さん(以下、敬称略) 地元テレビ局に出演したのが、ちょうどセンター試験の頃でした。いきなり問題を解かされました。しかも数学ですよ。ボクは文系だったので、数学なんて勉強していませんでした。


 3問を出題された。


 寺田 1問目はできた。誰でも分かる問題です。2問目はヒントをもらってできた。3問目はまるで解けませんでした。本当、今でも恨んでいます。


 新人合同自主トレーニング中に陸上トラックを走るトレーニングがあった。アウトコースを走らされ、トレーニングコーチにいかに不利かを冗談交じりで訴えた。


 寺田 インとアウト、どれぐらい違うか計算しました。円周率を使えば簡単に出せます。そうしたら皆に驚かれて、コーチに「他のヤツとは発想が違う」と言われました。新聞ネタにもなりましたね。この話、ウィキペディアにも載っていますが、「三角関数で」と書いてあるんですよ。三角関数なんて使わない。円周率ですよ。分かる人が見たら、ボクが間違っているみたいで恥ずかしい。


 ポール間を走り込む際、コーチが出すクイズに正解すると1本免除というゲームがあった。


 寺田 最初は誰でも分かるクイズが出ますが、だんだん難しくなる。皆が分からないだろうと「元素記号のBは何?」という問題が出ましたが、ボクは「ホウ素!」と答えて免除になった。それぐらい分かる。でも、コーチに「そんなの答えられるプロ野球選手いないぞ」と言われました。


08年楽天春季キャンプでポーズをとる寺田龍平
08年楽天春季キャンプでポーズをとる寺田龍平

 簡単な計算問題が出て、答えが奇数なら右、偶数なら左へ走るトレーニングをした。先輩の田中将大投手(現ヤンキース)と同じ組だった。同じ北海道の駒大苫小牧の出身である。


 寺田 「2×3-1」とか簡単な問題なんです。田中さんに負けました。そうしたら田中さんが「札南に勝ったぞ!」と喜んでいた。田中さんも、うちの高校を知っていてくれたんだなと思いました。


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 肝心の投球はどうだったのか。そう聞くと、答えは明確だった。


 寺田 プロに入って、高校時代よりいいボールは投げられませんでした。


 高校時代に145キロに達していた球速は、次第に落ちていった。


 寺田 プロに入った途端に球の回転が悪くなりました。そこにこだわって投げ方が悪くなっていった。修正できませんでした。よくなる兆しもなかった。


 球の回転が悪くなった原因は何だったのだろうか。


 寺田 分かりません。ただ、プロに入った当時の自分にアドバイスするとしたら…それは「自分が一番下手だと思わない方がいいよ」ということです。「謙虚も大切だけど、もっと自信を持って堂々と振る舞えばいい」と。そう言いたいですね。


 制球も悪くなり、3年目の2010年にはコーチからサイドスローへの転向を指示された。それでも好転しなかった。同年には右肩の手術も経験した。翌11年は2軍でも登板機会に恵まれなかった。


 寺田 夏以降の使われ方で分かります。秋になった頃、フロントの方から電話が来て「分かっていると思うけど…」という言い方で球団事務所に来るよう言われました。そこで「来季は契約しない」と言われた。


 すぐに現役引退を決めた。トライアウトも受けなかった。


 寺田 スパッと辞められました。練習は誰よりもやった自信がありました。これだけやってダメなら、しがみついても同じだなと。当時22歳で、友人も大学を卒業する頃だったので、自分も1回サラリーマンになってみたいなと思いました。規模が大きいことをやりたいと思って、東京に出てきました。


10年3月、湘南との練習試合で登板した楽天寺田龍平
10年3月、湘南との練習試合で登板した楽天寺田龍平

 転職サイトに登録し、IT企業に入社した。


 寺田 営業です。SE(システムエンジニア)の資格も取って、官公庁を担当しました。4年に1度システムが変わるので、その機械やソフトを導入する仕事です。


 大学の勉強は続けていた。プロ1年目のキャンプで労組日本プロ野球選手会から、早大eスクールの存在を教えられて申し込んだ。パソコンを使って講義を受けてリポートなどを提出し、卒業すると学士が取得できる。

 現役時代から練習後などにインターネットを使って講義を受けていた。


 寺田 4年制ですが、最初から5年計画で考えていました。IT企業にいた2013年に卒業しました。セカンドキャリアのためではなく、学ぶことに興味があったからやっていました。


 この頃は野球から完全に離れていた。テレビ中継も見なかった。


 寺田 野球を辞めた時はスポーツに関わりたくないと思っていました。まだ選手の気持ちが残っていて、素直に応援できない。でも、草野球に呼ばれてプレーしているうちに、純粋にスポーツを楽しめるようになった。友達に誘われて球場まで観戦にも行った。次第に「スポーツの仕事をしてみたい」と思うようになりました。


 3年半勤めたIT企業を辞め、知人が経営するスポーツマネジメント会社を手伝うことになった。ここではスポーツ選手のマネジャー役を務めたり、広報活動を行った。


 寺田 この仕事をしている時に「広告」という概念を初めて知りました。球場の看板も含め、広告で大きなお金が動いているんだなと。こういうところからプロ野球選手のお金も出ていると、広告に興味を持ちました。


 マネジメント会社を辞め、再び転職エージェントを通じて博報堂DYデジタルに応募した。昨年8月から同社で働いている。ウェブ広告を担当している。


 寺田 もともとSNSやウェブには興味を持っていました。早大の卒業研究も「ウェブサイトのアクセス解析」がテーマでした。


 今後やりたい仕事はあるのか。


 寺田 プロ野球に関わる仕事をしたいですね。例えば交流戦を盛り上げるために、SNSをどう活用するかプランを立てたり。交流戦でなくてもいいです。ウェブを通じて、プロ野球に携われたらいいと思います。


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 一風変わったプロ野球選手だった寺田さんは、セカンドキャリアをどう捉えているのか。有名進学校に通い、勉強への強い意欲を持ちながら、プロに入った。だが、プロで実績は残せなかった。


 寺田 そうですね。「セカンドキャリアは心配する必要ない」と言いたいですね。そんなに厳しく、悲しいものではない。野球以外の仕事をしたことがないと、野球界に残る人が多い。でも、他の仕事も恐れずにやってみればいいと思います。結構楽しいですよ。野球界の人材って、一般企業でも通用すると思っています。


 野球などスポーツと勉強の両立に悩む中、高校生へのアドバイスをもらった。


 寺田 やっぱり勉強はした方がいいと思います。勉強しているからこそ、安心して野球に取り組めるという考え方もありますよね。赤点を取って野球の時間を割かれるぐらいなら、しっかりやっておいた方がいい。勉強も頑張っていると、野球に打ち込んでないと言われますけど… そんなことありませんよ。


 自身もプロ時代、そうした視線で見られた。現役ながら早大eスクールに挑戦していた。片手間に野球をしていると思われた。


 寺田 先輩に「お前はクビになっても仕事があるかもしれないが、オレらは必死なんだ」と言われたことがあります。ビックリしました。ボクも必死にやっていたので。当時はあまり理解されなかったかな。今は大分変わっていると思いますけどね。大リーグでは引退した後に医者や弁護士になる人もいます。


 私もこの連載を通じて、多くの元選手がさまざまな業界で活躍する姿を見てきた。実に幅広い世界が広がっている。


 寺田 自分が何をやりたいかを考える力は大切だと思います。甲子園とか決められたゴールだけではなく、自分なりのゴールをどこに設置するか。それは野球をやっている時から大切だと思います。


 6月20日で29歳。若い寺田さんのゴールは、まだまだ先にある。【飯島智則】