二松学舎大付(東京)が、「夏目漱石対決」に敗れた。漱石が1895年に愛媛県尋常中学(後の松山東)に赴任したよりも早く、81年に当時漢学塾の二松学舎の門をたたいている。

 歴史同様、試合でも“先手”を取りたかったが、4回に先発の大江竜聖投手(2年)が2点を先取された。三塁側スタンドは、松山東(愛媛)の大応援団が集結。「雰囲気にのまれてしまいました。悔いが残る甲子園でした」と悔やんだ。

 自己最速を更新する142キロをマークし、自己最多16三振を奪ったが、5失点。6回に自らの適時打で同点に追い付いたが、直後の7回に決勝点を許した。市原勝人監督(50)は「あの1点が大きかった。本来の大江なら、あそこで抑えるのに、抑え切れなかった」と言った。東京代表が、21世紀枠校にまさかの敗退。大江は「この悔しさをずっと忘れないで、夏にまた戻ってきたい」と誓った。