名寄地区で枝幸が士別翔雲に延長12回3-1で競り勝ち、3季通じて初の地区突破を決めた。06年に旧枝幸町と歌登町が合併。枝幸中と歌登中から5人ずつ集まった10人が、右腕エース山上透真(3年)と主将の松嶋星憲(しょうた)捕手(3年)を中心に団結し、新たな歴史を刻んだ。7日に南・北大会の組み合わせ抽選が行われ、北大会は15日に旭川スタルヒン、南大会は17日に札幌円山で開幕する。

 試合をひっくり返されるかもしれない大ピンチでも、枝幸の10人は笑顔だった。2点を勝ち越して迎えた、12回裏。1死満塁の場面で、ナインがマウンドに集まった。「このメンバーでは最後だ。全力でやって笑顔で終わろう」。主将の松嶋の言葉に、だれもが笑顔だ。悲壮感もなければ、硬さもない。直後に山上の投じた211球目は士別翔雲6番風間にはじき返されたが、打球は白潟諒彦一塁手(3年)の左手に収まり、併殺。3時間15分の試合が終わった。

 「まさかこのチームがここまでくるとは」。市野紘隆監督(32)の言葉も無理はない。部員は3年5人、2年2人、1年3人の10人。全員が町内2つの中学の卒業生で、歌登中と枝幸中が5人ずつ。12回先頭で中前打で出塁し、勝ち越しのホームを踏んだ堀川拓朗左翼手(1年)は「(歌登中の)山上先輩とやりたくて枝幸に来た。先輩を楽にしたかった」という。互いの自宅は徒歩2分の距離。打てず落ち込んで素振りしていると、山上が夜遅くまでつきあってくれた。顔なじみばかり。上下関係はない。そんなチームカラーが、のびのびとしたプレーにつながった。

 大黒柱の山上には私立強豪校の誘いもあったが「枝幸で楽しく野球がしたかった」と、地元校を選択した。枝幸中時代は山上とライバルだった松嶋は、昨秋捕手になってからは練習のたびに、配球を2人で、とことん話し合ってきた。楽しくプレーして、勝つために。12回を被安打6、15奪三振で1失点完投の山上が「松嶋のリードを信じた」と言えば、松嶋は「山上を助けたかった」。枝幸ナインならぬ“10”の願いは「北大会でも最後まで笑顔で戦いたい」という1点しかない。【浅水友輝】

 ◆枝幸(えさし)町 宗谷地方南部に位置し、06年に旧枝幸町と歌登町が合併して誕生した。神威岬などがある海岸線は58キロもあり、面積11万1567平方キロは北海道で9番目に大きい。約8割を森林が占め、漁業、農業、林業が盛ん。毛ガニ漁獲量(年232トン)は日本一で、毎年7月に「枝幸かにまつり」が実施される。人口8437人(15年国勢調査)。