佐賀大会は準決勝が行われ、佐賀北が5回コールドの圧勝で5年ぶり5度目の夏の甲子園出場に王手をかけた。

07年に投手での夏の甲子園優勝に貢献した久保貴大監督(30)の作戦や采配がズバズバ的中。「予想外」と本人も驚く12安打10得点の猛攻を演出した。選手で旋風を巻き起こした指揮官が、「がばい監督」として聖地に凱旋(がいせん)するまで、あと1勝だ。

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久保監督が「がばい采配」で甲子園出場に王手をかけた。「予想外。こんなに点が入るとは」と驚く12安打10得点。投げてはエース左腕、川崎大輝投手(3年)が5回4安打無失点と投打に神埼清明を圧倒した。勝利の瞬間は拍手でナインをたたえ、ベンチ前に整列して余韻をかみしめた。

元投手目線の作戦がズバリと当たった。準決勝直前の練習では、ビデオチェックした相手エースを想定。マウンド3メートル手前から打撃投手に投げさせ、体感約140キロでフリー打撃をさせた。その上で高めの直球と低めのスライダーに手を出さないよう徹底。その対策が見事に決まり猛打を呼んだ。

「自分の思い通りにやっいてて、采配がズバズバ当たっている」。佐賀北監督として全国制覇に導いた百崎敏克・現同校副部長もうなるタクトも光った。5-0の4回1死二、三塁。スクイズを2度失敗して追い込まれた2番久保公佑内野手(2年)に対し、3球スクイズの選択肢もあった。だが「相手投手を見ていて、打った方がいいと思った」と瞬時に作戦チェンジ。久保が「気持ちが楽になりました」と転がした二ゴロの間に追加点を奪った。

17年秋に就任し、指揮官2度目の夏にして早くも決勝に進出。感想を問われ「分からない。初めての経験なので」と謙遜した。日本一に輝き「がばい旋風」と呼ばれた07年夏の選手当時は「やってやろうという思いだった」という。鳥栖との決勝に向け、「見ていて粘り強い。こちらも粘り負けしないようにしたい」と必勝を誓った。

そんな17年秋就任の甲子園のヒーローに率いられ、主将の小野颯真捕手(3年)は「甲子園で優勝しているので、もう1度先生と一緒に行きたい」ときっぱり。佐賀のレジェンドとともに、5年ぶりの聖地を目指す。【菊川光一】

◆久保貴大(くぼ・たかひろ)1989年(平元)6月13日、佐賀県生まれ。山内西小3年から軟式野球を始め、山内中では県4強。佐賀北では1年秋から背番号10、2年秋からエース。07年夏の甲子園初優勝に貢献した。筑波大から社会人チームなどを経て、16年春から保健体育の教諭として母校に勤務。副部長を経て17年秋から監督に就任した。

◆07年佐賀北のがばい旋風 県立校が夏の甲子園で強豪校を次々にミラクル撃破。「とても」を意味する佐賀弁「がばい」から「がばい旋風」と呼ばれた。開幕戦で福井商に2-0で甲子園初勝利を挙げて勢いづいた。2回戦は宇治山田商と延長15回4-4で引き分けたが、再試合は9-1の完勝。3回戦は前橋商に5-2で競り勝ち、準々決勝は帝京相手に延長13回4-3でサヨナラ勝ち。準決勝は長崎日大に3-0で快勝した。広陵との決勝は8回に副島浩史(現唐津工監督)が野村祐輔(現広島)から逆転満塁本塁打を放ち、5-4の劇的勝利で初優勝。久保は全試合にロングリリーフ起用された。初戦から決勝途中まで34回1/3を連続無失点、防御率0・49で優勝の立役者となった。