恩師にささげる1勝だ。広島新庄が甲子園交流試合で天理(奈良)に競り勝ち、夏を締めくくった。迫田守昭氏(74)が3月31日で監督を退任。センバツが最後の舞台だったが中止となり、一緒に甲子園の土を踏むことができなかった。宇多村聡新監督(33)の下、感謝の気持ちをプレーで体現した。都道府県の独自大会は、北北海道がクラーク、富山は高岡第一が制した。

   ◇   ◇   ◇

エース左腕の秋田は、甲子園のマウンドで恩師の教えを発揮した。「(迫田氏から)ボールが浮いている時は『ワンバウンドを投げる気持ちで投げる』とか、ストライクが入らない時は『気にせず思い切り投げろ』と言われた」と振り返った。低めにボールを集め、ストライク先行の投球。強力な天理打線を6回5安打2失点(自責点1)に抑えた。「教えてもらったことを発揮できた」と胸を張った。

巨人田口、日本ハム堀と、広島新庄からはプロに進む好左腕が続々と登場した。先輩たちに続きたいと、迫田氏の門下生となった。左投手特有のけん制など、鍛えられてつかんだ聖地のマウンド。「監督のおかげでここまで来られた。ありがとうございましたと言いたい」と感謝を口にした。大学でも野球を続けていく予定だ。「テンポ良く打たせて取る投手になりたい」と意気込む。高校生活で学んだことを胸にさらなる成長を誓った。

秋田と背番号1を争い、7回から登板した秋山も左腕だ。宇多村監督は「歴代の先輩方が頑張って左投手が育つ。先輩たちを見て彼らも頑張ってくれている。代々受け継いでくれているかな」と目を細めた。新指揮官もまた、迫田氏の広島商時代の教え子。高齢のため自宅でテレビ観戦となった恩師に新生広島新庄を見せられた。「最後、甲子園で勝てたことはちょっとですけど迫田監督に恩返しできたかなと思います」と笑顔を見せた。【湯本勝大】

◆迫田守昭(さこだ・もりあき)1945年(昭20)9月24日生まれ。広島市出身。広島商-慶大-三菱重工広島でプレー。現役時代は捕手。三菱重工広島の監督を務めた後、00年秋から広島商監督としてソフトバンク柳田らを指導。02年春、04年夏甲子園出場。07年秋から広島新庄の監督に就任し、甲子園に4度導いた。兄は広島商の選手と監督で全国優勝した穆成氏