高島のエース角津田夢叶投手(3年)は、スタンドまで応援に来てくれた父明彦さんへの思いを問われると言葉に詰まった。「小さい頃からずっと…。育ててくれたので…。申し訳ないです」。目には涙がたまった。

明彦さんは日大三時代、高校日本代表にも選ばれた名投手だった。日大に進んだが、1学年下には、この日の対戦相手となった二松学舎大付の市原勝人監督(56)がいた。そんな“縁”のある一戦。真っすぐの最速は125キロにとどまるが、100キロ未満のカーブで緩急をつけた。2回に3点を失うも、3回から6回は1失点のみ。走者を出しても、また味方の失策があっても、粘りに粘った。

だが、0-4の7回、味方の失策が重なり3点を追加され、コールド負け。6回2/3、8安打7失点(自責4)だった。「情けない試合をしてしまいました。相手校にびびって、ストライクゾーンに投げられませんでした」と自分を責めた。それでも、1人で投げ続ける姿は、敵将の目に留まった。市原監督は「本調子ではなかったのかなと思いますが、よく踏ん張ってましたね。エースとは、こういうものだと(二松学舎大付先発の)布施にも話しました」とたたえた。明彦さんの息子であることは分かっていたという。

高校野球を終えた角津田。野球を続けるか問われると「悩んでます…。とりあえず、休みます」と言うと、ようやく表情が緩んだ。