200年構想を掲げる日本高野連にとって、今年の夏の甲子園は転機になるだろう。12月1日から日本高野連の第8代会長に就いた京大大学院総合生存学館教授の宝馨氏(64)の抱負を先日、聞いた。「野球という素晴らしいスポーツを楽しみながら、学んでいくのを推進したい」と言う。新会長も野球は教育の一環という理念を踏襲していく。

3日は理事会に出席し、各都道府県高野連の声を聞いた。史上最多となる7度の順延になった今夏の甲子園が議題に出た。「難しい条件のもと、野球をやらざるをえない。中途半端に試合を打ち切らざるをえない。試合運営が良かったのか、という声もお聞きしました」。宝氏は京大野球部の監督や部長、関西学生野球連盟の審判員も7年務めるなど、野球とともに歩んできた。

この夏、土砂降りのなかで続く試合をテレビで観戦していたという。「いつやめるのかと思う一方で、試合を成立させたいと審判としては思う」。審判のジレンマを察しながら、会長として改革案に触れた。

「チャンスを残して打ち切ることになるのは大変残念。継続試合なら、審判も判断しやすい。選手たちにやりやすい環境で試合をさせてあげたい。早晩、その方向になると思う」

高野連が検討する継続試合は、試合が未成立のまま中断、順延になった場合、後日、中断時から再開するものだ。線状降水帯など近年の異常気象は、いまや常態となり、温暖化にともなって、これから先も同じようなケースの多発も想定される。近未来の高校野球に即した新ルールになる。

宝氏もかつては高校球児だった。西宮北(兵庫)では投手、捕手としてプレーした。「ガタガタのグラウンドで石ころだらけ。1年生の秋まで、手製のふるいを作って、内野全面、グラウンド整備をやりました。大変、思い出深いです」。1年夏、当時、大体大のエースだった比屋根吉信さんに出会った。「サイドスローですごい球を投げる方。『捕手をやれ』と言われて、捕手をしていました」。野球を教わり、グラウンド整備も手伝ってくれた。のちに、興南(沖縄)を率いて春夏6度、甲子園出場に導いた名将は宝氏にとって原点ともいえる人だろう。

「受験勉強で、途中でやめるパターンもよくあります。受験勉強とか、いろいろあるだろうが、野球が好きなら、野球に情熱を傾けて、勇気を持ってやっていただきたい」

いま、白球を追う後輩に温かいメッセージを発した。グラウンドで生きてきた人だけが持つ目線がある。野球を愛する日本高野連トップの心に触れた。