元大洋(現DeNA)選手で、横浜ベイスターズの初代監督、のちロッテでも指揮を執った近藤昭仁氏が27日午前1時23分、敗血症性ショックのため神奈川県内の病院で死去した。80歳だった。近藤氏の活躍を写真で振り返る。
- 早大時代の近藤昭仁二塁手(右、1958年9月20日)
- 早大時代の近藤昭仁選手(1957年3月26日)
- 日本シリーズで最高殊勲選手賞に輝いた大洋近藤昭仁は賞品の車に乗って写真に納まる(1960年10月15日)
- 阪神で一塁へ送球する近藤昭仁(1964年4月21日)
- 日本シリーズに出場した大洋近藤昭仁(1960年10月15日)
- 大洋監督時代の近藤昭仁氏(1992年10月撮影)
- 96年11月、メッツのバレンタイン監督(右)と握手
- 98年7月8日、オリックス戦で18連敗を喫し、報道陣の質問に答えるロッテ近藤監督
- 60歳の誕生日を迎え、還暦を祝ったロッテ近藤昭仁監督。選手会から真っ赤なバラの花束、コーチ陣からは赤のベストを贈られた(1998年4月1日)
- 18連敗を喫し引き揚げるロッテ近藤昭仁監督(1998年7月8日)
- 試合前、ノックをする巨人の近藤昭仁ヘッドコーチ(2006年06月28日)
- 巨人の統括ディレクターに就任した近藤昭仁ヘッドコーチ(2006年11月23日)
◆近藤昭仁(こんどう・あきひと)1938年(昭13)4月1日、香川県生まれ。高松一高、早大を経て60年大洋入団。同年は新人ながら1番に定着し、大洋の初優勝に貢献。日本シリーズでも2度の決勝打を打ってMVP獲得。74年現役引退し、74年から大洋、ヤクルト、西武、巨人でコーチを歴任。93年は横浜初代監督に就任。97年からロッテ監督を務めるも、98年にはプロ野球ワーストの18連敗を記録し退団。06年、巨人ヘッドコーチへ復帰。現役時代は168センチ、65キロ。右投げ右打ち。