オリックスは阪神・淡路大震災の発生から25年たった17日、大阪・舞洲の球団施設で犠牲者への哀悼の意を示し、1分間の黙とうを行った。

湊通夫球団社長、森川秀樹球団本部長、田口壮野手総合兼打撃コーチのほか、新人選手やスタッフら、約80人がグラウンドに並び、神戸方面に向けて、正午から1分間、こうべを垂れた。「阪神・淡路大震災 25年 あの日を忘れない」の横断幕も持ち、球場は半旗だった。

田口コーチは95年の発生当時、プロ4年目を迎える年で退寮直後、神戸市北区の自宅で被災した。西宮市の実家も半壊だったという。「25年たったのは長いのか、短いのか。すごく考えさせられる節目の年です。最初に聞いた音と最初に感じた揺れはいまでも残っています。後にも先にも、僕が人生50年生きてきて、死を感じたのは、あのときだけです。記憶は変わらない。ドアをドンッと閉められると、それだけでビクッとする。いまだにダメです」と明かした。

オリックスは震災に遭った年に「がんばろう神戸」を旗印にパ・リーグ制覇。96年に連続優勝し、田口コーチはイチローらと主力として活躍した。その後は頂点から遠ざかる。「あれからまったく勝てていない。25年ですよね。勝ちたい思いはありますし、自分のなかでは『神戸』は忘れることはない。いま一度、神戸、阪神間の皆さんに後押ししていただいて、優勝したいと思います」と前を向いた。