西武内海哲也投手(39)はなぜ愛されるのか。2000年代の過渡期を迎えた巨人を支え、チームの雰囲気を徐々に改革。ひたむきに野球に向き合い、後輩にも愛情あふれる姿勢で接し、時には悔しさで涙を流すなど人間くささを隠さない。18年オフに人的補償という形で西武に移籍しても変わらない兄貴分の姿はプロ野球ファンだけでなく、選手からも尊敬の声が上がります。左腕の生き様には、組織の中での先輩として、リーダーとしてのあり方を考えるヒントが詰まっています。珠玉の過去記事は、無料会員登録で全部見られます。

2021年6月10日、DeNA戦でガッツポーズする西武内海
2021年6月10日、DeNA戦でガッツポーズする西武内海

理想のリーダー、先輩としての生き様。内海哲也はなぜ愛されるのか/過去記事まとめ

もがき、苦しみながら、何度でも這い上がる。

辺りがまだ薄暗い午前4時半、西武内海哲也投手(39)の1日は始まる。大きな体をそーっと起こし、ベッドから起床。4人の子供たちの寝顔を横目に、5時ごろに車で自宅を出発し、約1時間半かけ、球場に到着する。18年オフに巨人から人的補償で西武に移籍。この3年間、ファーム調整期間中はそのルーティンを続ける。


周囲からは「練習の虫」と言われる。現に、巨人時代は「あれだけ練習したんやから、絶対に抑えられる」とマウンドで日々の練習を自分への勇気に変えた。チームメートからはエースと尊敬され「自分が引っ張っていくんやって思いもあったし、若い子たちに伝えるためにも、自分がやらんとって、使命感もあったと思います」。


巨人では、2度のリーグ3連覇に貢献。11、12年には2年連続で最多勝を獲得し、12年の日本シリーズではMVPを獲得した。周囲の記憶に強烈に残る巨人のエースの肩書。「移籍直後は、『巨人の内海』で見られる。巨人のエースって、こんなもんかって思われたらあかんなと。プライドというか、そういう気持ちは持っています」。


移籍1年目の19年1月の自主トレ公開日、午前6時に自宅を出発し、公開予定時間の3時間前に球場に到着。無人の球場で黙々と汗を流し、西武の球団幹部を驚かせた。あの日から2年半。何一つ変わらぬ姿に、西武のファーム関係者から「若手にとって、最高のお手本。目標とすべき存在がいることは、非常に大きいです」と称賛される。


プロ野球史に名を刻む左腕へと上りつめたが、進化の源流には中学時代に味わった大きな挫折がある。ボーイズリーグの京都田辺では5、6番手投手。2年までは野手でスタメン出場したが、3年時は元ロッテの今江(現楽天2軍打撃コーチ)ら最強世代と言われた2年生にスタメンの座を奪われた。


「あの時の悔しい思いは絶対に忘れないです。ほんまにショックでしたし、僕は下手くそなんやと。今でもその気持ちがあって、もっと野球がうまくなりたいと思ってますし、自分みたいな選手は練習せんと奪われるって危機感は心のどこかにあります」


進学した敦賀気比で全国屈指の投手へ名を上げ、社会人野球の東京ガスを経て、自由獲得枠で巨人に入団。エースになっても、135勝しても、その思いは変わらない。内海は自身のことを「あきらめの悪い人間です」と説明する。中学時代に補欠でも、試合で勝てなくても、故障で苦しんでも、あきらめずに努力を続けたから、今がある。


昨年11月、巨人から戦力外通告を受けた宮国から現役続行の意思を伝えられ、即答した。「自主トレ、オレのところに来いよ」。2年前のオフ、自身のトレーニングに集中するために単身での自主トレに変更したはずだったが、宮国の思いに心を動かされ、後輩の西武渡辺、巨人井上とともに迎え入れた。


プロ18年目の39歳。学生時代の同級生やチームメートは、会社の管理職や重要なポストを任され始め、ほとんどが野球の世界から離れた。「テツの頑張ってる姿が、俺らの活力」と言葉を掛けられ、その思いに応えようとグッと歯を食いしばる。


「もちろん、自分のために頑張る。でも、やっぱり、家族だったり、同級生だったり、先輩や後輩だったり、支えてくれる人がいるから頑張れるんです」


今季初登板だった6月3日の巨人戦。「ピッチャー・内海」とコールされた瞬間も、降板する時も、東京ドームのスタンドからは大きな、大きな拍手が送られた。もがき、苦しみながら、何度でもはい上がる。それを良く知っているのはファンであり、仲間であり、大事な家族である。【久保賢吾】