NPB初の女性スカウトが、将来のスター発掘に励んでいる。オリックス乾絵美スカウト(37)はソフトボール日本代表として北京五輪で金メダルを獲得した異例の経歴を持つ。2人の恩師の助言や、日本のエース上野由岐子の存在。そして初めて担当したドラフト3位来田涼斗外野手(18)との出会い。20年1月1日のスカウト就任から、「男社会」にいかに溶け込んだか、胸中を語った。【磯綾乃】(後編は無料会員登録で読むことができます)

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オリックスジュニアのコーチとして、選手を探しながら少年野球大会の運営をしていた4月。乾氏はたまたまその日の球場担当として、来田の姿を見た。「この子、すげえ」。バッティングセンス、打席に入った時の雰囲気。一目で光るものを感じた。しかし、来田がいたチームは大会序盤で敗退し、監督や他のコーチは誰も見ていない。セレクションに呼ぶ選手をリストアップする中で、「この子めっちゃ面白いと思います。呼ぶだけ呼んで欲しいです」と猛プッシュした。当時監督だった元近鉄の羽田耕一氏は来田のバッティングを見た瞬間、「この子とる!」と即決したという。

オリックスジュニアのユニホームを来た姿を見て、乾氏はまた確信した。「この子、すげえな!」。他の選手が小走りでネクストバッターズサークルへ行く中、来田はゆっくりと歩いて向かっていく。堂々とした立ち振る舞いと雰囲気は、小学6年生の時からひときわ目立っていた。

6年後に違う立場で再会するのは、やはり深い縁があるからだろうか。「初めて明石商で会った時、こっちを見てニタッと笑う顔を見て、変わってないなって。この子は心配ないなと思いました」。技術や体格は見違えるように成長した一方で、野球少年のような無邪気さは変わっていなかった。むしろ、明石商で主将を務めるまでになった人間性は、さらに魅力的になっていた。

自分が打てなくてもベンチの一番前で声を出し、チームメートを鼓舞する姿。来田だけではなく、エースの中森俊介(ロッテドラフト2位)も同じだった。「中森君も世代ナンバーワンと言われながらも、自分が投げない時はチームの雑用的なことをやったり、他のピッチャーが投げてる時は全力で応援をしてる姿を見ていた。多分人間性も、人を応援できるし応援される子なんだろうなと」。誰もが応援したくなるような、愛される人柄。それこそが、ファンのたくさんいるプロ野球選手に必要なもの。乾氏のぶれない信念だ。

根底にあるものは大切にしながらも、スカウトという新たな世界を1つずつ必死に学んできた。バットとボールを使う点では同じだが、野球とソフトボールは全く違う競技。ソフトボールで盗塁は、投手がボールを離してからスタートするため、全て捕手の責任となる。投手のクイックの測り方も一から教わった。外野から本塁までの距離も近く、外野手の「強肩」という概念もなかった。

「あかんことはあかん、とか気づいたことがあったら、すぐ言って下さい!」。スカウト会議で臆せず宣言できる性格で、どんどん相手の懐に飛び込んだ。球場で1人離れた場所にいる他球団のスカウトには、なぜここから見ているのか、独自の見方を教えてもらった。「この子ちょっと面白そうやね」。先輩スカウトの何げない会話を聞きながら、どこを重視しているのかに気づいた。その選手が上の舞台で活躍する姿をイメージ出来るか。目の前の試合ではなく、大きな視点から選手たちを見ていた。

「やりにくさは全然! 皆さん優しいです。記事見たでー、会ってみたかってん!とか、おもろいと思うから頑張ってやーって言ってくださったので。何か分からんかったらなんでも聞きやー、と。皆さんが迎え入れてくれた感じがあって、それにはめちゃめちゃ感謝してますね」。

スカウトの必需品、手帳サイズのスコアブック。最初は、試合の内容を書き込んでいくだけだった。最近は選手の表情やしぐさ、乾氏自身が感じ、覚えておきたいことで埋まっている。「基本は自分が思うように見てくれたらいいよ、と言ってもらっています。本当にめっちゃ自由には、やらせてもらってると思います」。唯一無二の「ものさし」を大切にしながら、たくさんの人を魅了する未来のスターを探しに行く。【磯綾乃】

◆乾絵美(いぬい・えみ)1983年(昭58)10月26日生まれ、兵庫県加古川市出身。ソフトボール選手時代は神戸常盤女子高でプレーし、ルネサス高崎(現ビックカメラ高崎)では主将も務めた。日本代表としてオリンピックでは04年アテネ大会で銅メダル、08年北京大会で金メダルを獲得。08年秋に紫綬褒章を受賞し、09年に現役引退。10年3月にオリックスに入団し、事業運営部コミュニティグループに所属。20年1月から球団本部編成部アマチュアスカウトグループへ異動。現在は関西、中四国を中心に担当する。