オリックスのリーグ優勝をパ・リーグゆかりの日刊スポーツ評論家陣が祝福した。前身の阪急でエースとして284勝を挙げ、現在OB会長を務める山田久志氏(73)は、88年の引退試合で志願して当時2年目の中嶋監督と秋田同郷バッテリーを組んだ秘話を披露した。

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私がユニホームを脱ぐ2年前、秋田の鷹巣(たかのす)農林高校から阪急に入団してきたのが中嶋でした。同郷で実家も近く、彼の両親からは親代わりを頼まれ、なにより秋田からプロ野球選手が出てきたことがうれしかったですね。

当時の阪急に、秋田商出身の捕手で成田光弘さんという方がいました。その先輩が野球を辞めて地元に戻った後で目に留まったのが中嶋で、成田さんが球団に推薦したようです。無名だった高校球児は、阪急に縁があったんでしょうね。

私の引退試合は1988年(昭和63)10月23日、西宮球場でのロッテ戦でした。ウエさん(上田利治監督)に「中嶋と組ませてくれませんか」とわがままを受け入れてもらいました。プロ入り当初はまともにボールを捕れなかった男が、その試合で3ランを打ってくれましてね。

ああ見えて気遣いのできる純粋なやつです。どこに行っても気になっていたし、オリックスの1軍監督に昇格する際、後ろ向きだった本人に「これだけ低迷してるんだから、好きにやったらいいんじゃないか」と言ったこともありました。

投手の顔触れは、そう変わっていません。山本を中心に宮城も昨季の後半から芽が出だした。もともと定評があった投手力を監督、コーチ陣がうまく引き出した。不安視された抑えも加入した平野佳とヒギンスの安定感で解消されました。

今までくすぶっていた、才能のある野手も積極的に登用した。杉本をはじめ、福田の抜てき、取り組む姿勢が変わった宗の1、2番固定もはまったね。若手ではないけどT-岡田もそう。紅林だってショートから外す気がないでしょ。あれも中嶋の頑固さだろうね。

ペナントレースの戦いぶりは、優勝した交流戦が潮目でした。開幕から毎月負け越しが続き、交流戦前は5位だったのが、一気に3位にジャンプアップし、メンバーを固定しながら優勝争いに絡むことができた。

中嶋が身に付けた選手を“その気”にさせる人心掌握の成果でした。ベンチでのパフォーマンスも見せるためではなく、本当にチーム一丸になっていて、躍動したムードに見えました。

現役時代から互いを知るGMの福良と中嶋がタッグを組んだチーム変革は、「フロント-現場」が一体となった勝利です。今シーズンの戦い方は財産になっただろうし、常にパ・リーグの輪の中心で戦うオリックスであってほしいですね。