阪神糸井嘉男外野手(41)が、日本ハム時代の野手転向時にマンツーマンで指導を受けた恩師、大村巌現DeNA2軍打撃コーチ(53)が、当時の思い出を振り返りながら、19年のプロ野球生活をねぎらった。自宅のテレビで最後の打席を見届け、喜びのコメントを残した。【聞き手=古財稜明】

もう最高のヒットですよ。本当にすごいよ、マンガみたい。初めて会った時に「どんな選手になりたいんや?」って聞いたら「ホームラン打ちたいっすね!」と。「足が速いし、守備でも輝くことができるから。打率3割を3年間続けると今の時代1億円もらえるよ」って言って、「じゃあそっちにします」ってあっさりね。それで三遊間へ逆方向に打つ練習を、そこから基本形でスイングをつくっていって、まさに今日それが出た。すごいなって。いろんなものが凝縮されたヒットでしたね。

引退を発表する前に電話がかかってきて、「元気ですか?」じゃなくて、「決めました! 引退します!」と。潔よいというか、すがすがしい。そのテンションで、やり切ったんだなというのがわかりました。もうそんなに時間がたったかなという感じですね。思い出はいっぱいあります。ゆっくり時間かけて振り返りながら、(ノートに)書いてみようかな。

僕も糸井から学ばせてもらった。僕自身も感謝している次第でございます。(当時の)高田繁GMから「1カ月で(結果を)」と言われまして、1カ月間ものすごく詰め込んだというか、やり切りましたね。その時糸井が「豆が痛いです」と。糸井にとっては初体験だからね。骨折とか靱帯(じんたい)切ってもあんまり気づかないですけど(笑い)。

朝は全体練習、昼からは僕とマンツーマンで(千葉の)鎌ケ谷の室内で入って、夕方に終わってという感じで、ずっとつきっきりで。かなりバテてるわけですよ、本当に。でも夜また帰る時に、バット持って寮の玄関にいるんですよ。それで自分で打ち始めるんですよ。ものすごい危機感があったみたいですね。

毎日弱音を吐いてました。「つらい、やりたくない、逃げたい」じゃなくて、「今日は頼みますから短くしてください。短期集中型で」っていつもギャンギャンほえてましたけどね。だけど「今日はこうことやるから」って中身と時間とかを説明しましたね(笑い)。

僕もコーチ1年目で、早くできるようにとネガティブな、マイナスな言葉を多く使ってしまって、その時に糸井が僕にキレてね。「『あかんあかん』言ってたら、ほんまにあかんようになってまうでしょ」と怒鳴りつけられて。そこからできたことを褒めていくようにしました。有名な話ですけど、「子犬の飼い方」の本を読んで「廊下でおしっこしても怒らない」「ちゃんとトイレでおしっこしたら褒めてあげる」っていうヒントをもらって。10回やって9回できなくても、1回できたら大げさに褒めると。そしたらさらに意欲的にやれるようになりまして、勉強スピードが速くなったんですよね。「昨日までできなかったのに今日できたね」「素晴らしいね」「天才だね」って。そういうようなコーチングスタイルに変えましたね。

もう1つはものすごく吸収スピードが速い。彼が左で僕は右だったので、ちょうど鏡のようになるので、向かい合ってね、それでじーっと見て、すぐまねができるんですよ。10球、20球で、コピーする能力は抜群です。でも、すぐ忘れてましたね。

徐々にレギュラーになり始めてきて、2009年くらいですかね、3番も打つようになってきて、ちょうどその前の年で優勝したんですけど。その時に調子良くて、09年の6月に月間MVPを取ったんですよ。もう大丈夫だなと思いましたね。

将来的な活躍を2人で想像してやってました。「今ここ(練習場)には2人しかいないけど、お前は5万人の前で大歓声を受けて良いバッティングをするんだから。そのために土台を作るから」って。そこの本人の努力を継続したっていうことが彼の野球人生で素晴らしい成績を残すことにつながった。ものすごく練習しますから。どんなに身体能力があっても野球に関しては努力をしていかないと相手も変わっていきますし。そこで自分で困難を乗り越えられるようになったんだねって思いながら。自分で軌道に乗っていったなと思ってほっとしましたね。

引退は少し寂しい気もするけど、「自分で決めたのか?」って聞いたら、「全部自分で決めました」って。人に相談せずに、自分で決めることに思わず成長したねって言っちゃったんですけど(笑い)。本当に19年間お疲れさま、よく頑張ったって初めて心から褒めたいと思います(笑い)。