日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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ロサンゼルス・ドジャースの歴史をひもとくと、いかに日本との結びつきが強く、多国籍にまたがる人種を受け入れてきたかがうかがえる。

今春の韓国ソウルで行われたドジャース対パドレスの開幕戦で始球式に登場した韓国人初の大リーガー、朴賛浩(パク・チャンホ)はなつかしい姿だった。

ドジャースでは同じ時代に、日本から海を渡った野茂英雄と、“コリアン・エクスプレス”の日韓コンビが先発入りしたのも歴史の一コマだ。

メジャーリーグが日本で放送されるだけで珍しかった時代は、今やスポーツニュースのトップは「本日の大谷翔平」で、日本は二の次といった状況が続く。

ドジャースの現場に触れてきた身として、大谷のパフォーマンスをみながら、ドジャース野球が日本に“輸入”された瞬間を思い返してみた。

最初に「ドジャース戦法」を持ち込んだのは、巨人でV9を成し遂げた名監督川上哲治だ。監督1年目からドジャースのフロリダ・ベロビーチで海外キャンプを敢行した。

コーチ時代に出会った著書「ドジャース戦法」を導入。元二塁手のコーチだったアル・キャンパニスの本に「ひらめくものがあった」とチームプレーを見いだす契機になった。

今では当たり前だが、内外野のバックアップ、中継、けん制、バント処理、フォーメーションなど、それまでお目にかかったことのないプレーばかりだった。

これが日本で面白いようにはまった。他球団は手つかずだから、川上巨人にとって“ドジャース戦法”は専売特許になったといえるだろう。

先日、新宿の小料理屋でノンフィクション作家の長男・貴光と会った。生前の父に「野球人生のなかでもっとも印象に残っているプレーは?」と尋ねたことがあったという。

1972年(昭47)、阪急との日本シリーズは2勝1敗で第4戦(西宮)を迎えた。巨人が3対1でリードした9回裏、関本四十四が無死一、二塁のピンチを招く。

送りバントか、強攻か? 阪急監督は西本幸雄でセオリーはバントだったはずだ。川上は守備力も高い堀内恒夫をリリーフ投入。マウンドにヘッドコーチ牧野茂が出た。

名参謀は「バントと決めつけるな」とだけ言い残してきびすを返した。阪急岡田幸喜が繰り出したのはバスターだった。ショートライナーで併殺。バントシフトをしいていたら中前に抜けていた。

川上はベンチが指示を出さなくても、選手が自発的に動いてピンチを乗り切ったフォーメーションプレーの成功に手応えをつかんだという。貴光は名将の心情を代弁した。

「父は巨人にドジャース野球が完成したと確信したようですね。その瞬間だったわけです」

この前、読売新聞で対談した堀内、捕手森祇晶の愛弟子も、この場面を川上野球の集大成に挙げていた。その一戦を逃げ切ると、続く第5戦は高橋一三が完投勝利、巨人は8連覇を達成する。

ドジャースが常に優勝争いに絡んだのは緻密な野球を展開したからだ。大谷のの活躍とともに、名門ドジャースの“源流”が日本球界にも存在したことに感慨にふける。(敬称略)