東京五輪が開催されたが、無観客だけでなく、いつもとさまざま違う状況が垣間見られる。とはいえ、各競技、各種目で世界のトップを決める大会に変わりない。優勝者には金メダルが授与され、世界一の称号が与えられる。

知識や徳望がすぐれ、世の模範と仰がれるような人を聖人と呼ぶ。この「聖」の字をつけた呼称がある。スポーツ界では、球技の名選手として野球のタイ・カッブ、ゴルフのボビー・ジョーンズを球聖と呼ぶ。大相撲では横綱常陸山が角聖と呼ばれる。

ボクシングには拳聖と呼ばれた名選手がいる。ピストン堀口こと堀口恒男。大正時代に米国で学んだ渡辺勇次郎が、21年に日本拳闘倶楽部創設が日本ボクシングの始まり。31年に全日本プロフェッショナル拳闘協会が結成され、堀口は33年にプロデビューした。

栃木・真岡で同郷の渡辺が模範試合を開催し、真岡中柔道部だった堀口は飛び入り参加した。プロ相手に戦って才能を見込まれた。元世界王者と引き分け、日本、東洋フェザー級王座獲得など5分けはさみ47連勝した。日本ミドル級王座も獲得し、50年の引退まで176戦で138勝(82KO)24敗4分の戦績を残した。

戦争の影響で世界挑戦のチャンスには恵まれなかったが、41年に世紀の一戦を制した。兵役から復帰後に26連勝のやりの笹崎広と対戦して5回TKO勝ち。剣聖と言われた宮本武蔵になぞらえて、拳聖と称されるようになった。

相手をロープに追い詰めて休まぬ連打でピストン戦法と言われた。無類のスタミナで10分間のミット打ちでも息が切れなかったという。リングネームは本名だが、戦法からピストン堀口と呼ばれるようになった。

その堀口が由縁の名門ジムが、7月いっぱいで休会した。弟3人もプロボクサーで、37年に住んでいた神奈川・茅ケ崎市内に練習場として開いた。引退半年後に36歳でれき死したが、その後に長男昌信氏がピストン堀口道場として開いて引き継いだ。近年は元日本ランカーの孫の昌彰氏が運営していた。

ジムの入っていたビルがあった土地では、病院が新築工事中となっている。昨年4月に緊急事態宣言で道場を休場し、7月には平塚市内に仮住まいとなっていた。関係者によると移転先が決まらず休会したという。

国内では原則37歳というボクサー定年があるが、会長やトレーナーに定年はない。70歳代になってもミットを受ける会長もいる。元気は何よりだが、ここにきて息子に代替わりしたり、違う後継者に看板を譲るジムがいくつかあった。世代交代の時期と言えるようだ。

さらに昨年コロナ禍となって、この1年半の間に9つ目の休会となった。アマジムへ移行するために退会したジムも2つある。新ジム開設3つ、休会から再開も3つあるが、休会と退会合わせて11は異常に多い。

五輪開催中も東京・後楽園ホールで2興行あった。こちらは観客入れも半分に制限。2日間の観客数は707人と733人と現状では満員で、熱烈ファンが毎試合惜しみない拍手を送っていた。

プロモーターたちは何とか首をつないでいこうと努力するが「厳しい」と口をそろえる。ジムの退会、休会理由はさまざまながら、コロナ禍の影響は大きい。「コロナ・パンチ」がボディーブローのように効く、ジムの休会ラッシュとなっている。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける」)