プロレスラーと大阪府和泉市議で活躍するスペル・デルフィンは今-。引退する獣神サンダー・ライガーへの思いも独白

 

プロレスラーのスペル・デルフィン(本名・脇田洋人=52)は、沖縄プロレス社長の肩書を持ち、2012年に大阪・和泉市議に初当選して現在2期(8年)目を務めている。

最大会派の明政会に所属し、定数24の市議の中でスポーツ振興などを所管する厚生文教委員会、市議会だよりを作成する広報広聴委員会などを兼務する。現役プロレスラーながら「先生」として精力的に活動する。

大阪府の南西部に位置する和泉市は、かつてベッドタウンとして発展し、現在の人口は約18万6000人。大阪プロレス時代に多く取材した記者だが、市議の姿は初めて見ることになる。市役所内の1室に覆面姿で登場したデルフィンは、以前と何も変わらない笑顔で和泉市と現在の自分について口を開いた。

「和泉市って全国的にはもちろん、たぶん関西でもいまいち知られていない。堺、岸和田市の隣、関西空港の近くとしか形容されないんと違いますか。いまだにどこにあるの? と言われる。言われないためには観光名所を作るとか、インバウンド(訪日旅行)を誘致するしかない。そのためにスポーツや芸術面に力を入れてます。特にスポーツの分野では他の議員に勝てる自信があります」

例えばこの任期中、プロ野球オリックスのホーム試合で「和泉市民観戦デー」の開催にこぎつけた。泉北高速鉄道の和泉中央駅には漫画家松本零士氏、弘兼憲史氏の協力でそれぞれのキャラクター漫画の銅像を設置。元ボクシング世界王者長谷川穂積氏を招いての講演会を市内の小学校で開いた。すべて自らの人脈で実現させた。

そもそも政治家の道を志した理由は何だったのか。潜在意識の中には、やはり国会議員となったアントニオ猪木らの存在が大きかったようだ。元々はプロレスでファンを笑顔にするのがライフワークだった。そこに政治との共通点を見つけた。政治で市民に喜んでもらいたいという結論に行き着いた。

「レスラーってリング上でマイクパフォーマンスすることが多い。試合の興行の宣伝で街でチラシを配ったり、宣伝カーを走らせる。政治家は議場でしゃべり、選挙カーで街頭演説をする。動き自体は似てるでしょ。プロレスは日本人だけでなく、外国人にも通用する強いツール。プロレスをやりながら和泉市をアピールしたいと思ったんです」

幸いなことに、市議としてマスク着用が最初から許可された。実は素顔で活動する覚悟はあったが、会派代表者会議で許された。例えばマスク姿で各地の市役所に出向く。すると必ず熱烈なファンがいてくれ、そこから話題が広がる。プロレスの力を改めて感じるという。

一部の市議らが私的に使い込んで社会問題化した政務活動費についても聞いた。和泉市の政務活動費は、月に7万円(年間84万円)と定められている。一括で受け取るのではなく、42万円を2回に分けて支給される。

「これは今、厳しいんですよ。自宅からマイカーで市役所に通うガソリン代も議会がある時は出ない。議会がない時は出る。議会がある時は議員活動だからあかん、政務活動はいいよと。ややこしいでしょ。ちょっとでも間違えてたら指摘されますよ。交通費でも厳しく制限されてます」

政界に身を投じて最も大きな変化は、やはり金銭面だったという。プロレスラーという職業は極めて不安定だ。メジャー団体の所属選手でない限り、1試合でギャラは1万円、場合によっては数千円程度。試合がなければ収入はない。デルフィンは99年から務めた大阪プロレス社長時代、経営者として苦しんだ。

「今、議員になって人生で初めて固定給をもらえている。ボーナスも初めてもらえた。プロレスラーとどっちがええんやと言われたら、うーん…。プロレス経営でもうかっていたらええけど、ひーひー苦労しながらやっていた。大阪プロレス時代はちゃんと選手に給料を払ってましたけど、逆に僕はもらっていなかった。市議は任期4年間は安心でも、それ以降は選挙があって大変な目にあう。比較は難しいですね」

今回の取材の目的はもう1つあった。来年1月、デルフィンが尊敬してやまない獣神サンダー・ライガー(新日本)が55歳で現役を引退するからだ。デルフィンといえば1994年6月、新日本の大阪府立体育会館大会のメインでライガーとのシングルマッチが実現した。

ジュニアの最強を決めるトーナメント「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」の優勝決定戦で対戦し、当時地方団体みちのくプロレス所属で、名前がさほど知られていなかったデルフィンが、ライガーと歴史に残る一戦を展開した。18分27秒、最後は惜しくも敗れたが、巧みな技や華麗な空中戦にファンは酔いしれた。これが俗にいうデルフィンの出世試合。記者も魅了された1人だ。

「あの試合は人生のターニングポイント。いまだにあれを見てファンになったと言ってもらえる。レスラーとして成功させていただいた試合。あれがあったからこそ全国で試合をさせてもらい、議員にもなれた。新日本とライガーさんには感謝しています」

当時、絶頂の人気を誇った長州力や闘魂三銃士らを差し置いてメインを飾るなど難しく、ヘビー級ではなくジュニアの認知度は決して高くはなかった。その恩人の引退が迫ってきた。

「ライガーさんは山口百恵みたいに、いいときにやめるという考え。動ける時にやめるのは大賛成だし、格好悪いライガーは見せたくないんでしょう。僕はみなさんに喜んでもらえれば、体が動く限りやります」

現在の生活に占めるプロレスと市議の割合を表してもらうと、即座に「1対9」という返答があった。

「市議って副業は大丈夫だけどプロレスに特化していたら、市議として何をしとるという批判になる。議会には100%出ないといけない。ずる休みとかありえないし、風邪をひいても骨折してもいかなければならない。僕への反対意見があったり、嫌なことももちろんある。でも、すべて自己責任による『やりがい』がある。とにかく和泉市のために頑張りますよ」

取材後、素顔のデルフィンと市役所の近所に昼食へ出かけた。素顔を知られていないから、市民から声をかけられることもない。「この時間は唯一、気楽なんですわ」。覆面レスラーの特権を楽しむ余裕が、今は少しできたようだ。【横田和幸】

 

◆スペル・デルフィン(本名・脇田洋人=わきた・ひろと)1967年(昭42)9月22日、大阪・和泉市生まれ。21歳の時、オランダでプロレスデビュー。FMW、ユニバーサル、みちのく、大阪を経て沖縄プロレスに。172センチ、80キロ。家族は夫人のタレント早坂好恵と1女。