日本選手最年長戴冠はならなかった。

世界初挑戦のWBO世界フェザー級11位清水聡(37=大橋)が、王者ロベイシ・ラミレス(29=キューバ出身)に5回1分8秒TKO負けした。5回に左アッパーでダウンを喫し、立ち上がったところに連打を浴びてレフェリーが試合を止めた。12年ロンドン五輪銅メダリストが待ち望んだ初の世界王座戦。勝てば37歳4カ月の最年長世界王座奪取だったが夢を阻まれ、この試合を最後に引退を示唆した。

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会見場に現れた清水の顔は傷だらけだった。「大きな試合を組んでもらって、結果を出して恩返ししたかったが残念です」。時折、声をつまらせた。この試合がラストマッチかの問いに「そういう方向になると思う」と引退を示唆した。

五輪2大会連続金メダリストは強かった。身長は清水が15センチ差と圧倒的に上回ったが、逆に低さを利して懐に飛び込んでくるラミレスのパンチを浴びた。

4回にショートフックの連打でロープに詰められ、動きが止まった。5回は左アッパーであごをえぐられ、たまらず膝をついた。立ち上がって闘争心を示したが、王者のパンチを防げなかった。1分8秒、レフェリーが割って入り、試合を止めた。

「五輪金メダリストはうまい、速い。それは想定内でした。体力、パワー面で自分に自信があったが、足とかよく動かず、ペースを握られてしまった」

ここ最近の悩みも明かした。「数年前から体がよく動かなくなった。バランスが悪く、思うようなボクシングができない。アマチュアを長くやりすぎていたからか、プロになってバランスを崩した。治療院とか科学的な分析もしてもらったが治らなかった」。身長差を生かして「ロングの距離で圧力をかけたかった」ボクシングができない。もどかしいまま敗れた。

16年9月のプロデビューから約7年。17年10月に当時最速のプロ4戦目で東洋太平洋フェザー級王座を獲得した。21年5月には森武蔵との東洋太平洋、WBOアジアパシフィック同級王座統一戦を制した。目指す世界王者へ順調に歩みを進めたが、コロナ禍でマッチメークは難航した。大橋会長は「(世界戦が)決まりかけては消え、決まりかけては消えが続いた」と振り返る。

それだけに今回の試合は感謝しかなかった。「大橋会長、松本トレーナー、応援してくれている人たち。勝って恩返ししたかったがうまくはいかなかった」。現実をしっかり受け止めた。プロでは遅咲きのオリンピアンは、堂々と世界に挑み、華々しく散った。【実藤健一】

◆清水聡(しみず・さとし)1986年(昭61)3月13日、岡山・総社市生まれ。中学3年で地元ジムに通い始め、関西高を経て駒大で国体など3度全国優勝。08年北京五輪は2回戦敗退。自衛隊に入り、12年ロンドン五輪バンタム級銅メダル。その後ミキハウスに入社し、16年リオデジャネイロ五輪を目指すも選考会で敗退。アマ戦績は150勝(70KO)20敗。16年に大橋ジムからプロデビューし、17年に当時最速の4戦目で東洋太平洋フェザー級王座を獲得。21年にWBOアジア・パシフィック同級王座も統一。身長180センチの左ボクサーファイター。

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