夏場所中に現役を引退した元前頭の舛ノ山(30=常盤山)が、引退会見を開いた。

約15年間の相撲人生を振り返り「頑張った分だけ自分に返ってくることを学べた。今後もその気持ちを忘れずにいきたいと思います」などと話した。

腰の難病を患い引退を決意した。5、6年前から腰に違和感があったといい、検査を受けると、指定難病の後縦靱帯(じんたい)骨化症と診断された。背骨の中を縦に走る後縦靱帯(じんたい)が骨になり、脊髄の入っている脊柱管が狭くなり神経根が圧迫され、感覚障害や運動障害等の神経症状を引き起こす病気だ。

舛ノ山は「稽古も満足に出来ない状態で、歩く時にもしびれが強く出ていた」と症状を説明した。初場所後に1カ月半のリハビリ入院したが「まわしを締めるとしびれがひどい。まわしを締められない、相撲が取れない以上は引退するしかないと思い決意しました」と引退を決意した理由を明かした。

06年名古屋場所で初土俵を踏み、10年九州場所で新十両に昇進した。当時は現関脇の高安とともに平成生まれ初の関取として注目を浴びた。11年秋場所で新入幕を果たし、最高位は12年九州場所の西前頭4枚目だった。思い出の一番を問われると「2012年の9月場所の千秋楽に、7勝7敗で高安関に勝って勝ち越した一番が思い出に残っています。新十両が一緒でずっと意識していた存在だったので」と話した。

また、大関返り咲きに向けて突き進む今の高安について「自分もその位置で一緒に戦いたかったなという思いが強いですね」と話すように、特別な存在だった。

今後の予定については「今は足にしびれが残っていて満足に働いたりすることは出来ないのかなと。先に体を治して社会に出られるようにしたい」と治療に励む。会見に同席した師匠の常盤山親方(元小結隆三杉)は「とにかく真面目な男。これと決めたら一生懸命やる男だから、第2の人生も何をやってもうまくいくと思う。部屋全員で応援したい」とエールを送った。

今場所は出場することが出来なかったが、しこ名を「舛乃山」から「舛ノ山」に改名していた。「入門当初のしこ名。関取時代の化粧まわしなども『舛ノ山』でやっていた。最後は戻して終えたかったという気持ちで改名させて頂いた」と理由を明かした。