日本相撲協会は25日、エディオンアリーナ大阪で大相撲夏場所(5月10日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議と臨時理事会を行い、関脇霧島(29=音羽山)の大関昇進を満場一致で承認した。
その後、霧島は音羽山が宿舎を構える大阪・堺市で昇進伝達式に臨み「謹んでお受け致します。さらなる高みを目指して、一生懸命努力します」と口上を述べた。
この口上を考えたのは、師匠の音羽山親方(40=元横綱鶴竜)だった。「簡単に、分かりやすくしようということと、これで終わるわけではないし」と、難しい四字熟語などは最初から入れるつもりはなかったという。それでいて、まだ夢の途中ということ、稽古に精進する姿勢は変わらないという意味で「さらなる高みを目指して、一生懸命努力」という言葉を選んだ。
辞書などを用いるようなことはなかったといい「難しい言葉は絶対に入れないと思っていたので。誰が聞いても分かりやすい言葉にしました」と語った。
もともと音羽山親方は元関脇逆鉾が師匠だった井筒部屋に入門し、霧島は先代の元大関霧島が師匠だった陸奥部屋に入門した。当時の井筒親方の急逝に伴い、当時の横綱鶴竜は急きょ、同じ時津風一門の陸奥部屋に転籍した。同じモンゴル出身の大先輩が突然、兄弟子となったが、当時から霧島は親身になって指導を受けてきた。
鶴竜は引退後、陸奥部屋付きの親方となったが、その後、独立した。今度は陸奥親方の定年に伴い、霧島が音羽山部屋に転籍し、再びタッグを組んだ形だ。当時を振り返り、音羽山親方は「(音羽山部屋に)移籍してきてすぐに大関から陥落した。僕も勉強不足だった。本人は、ケガしていてつらかったと思う。ケガしているのに怒っても仕方ない。ケガしない体づくりから始めた」と、基礎からみっちり指導した当時を思い出しながら話した。
現役時代からの弟弟子であり、同郷の後輩であり、正真正銘の弟子でもあるだけに、霧島への思い入れは当然強い。伝達式、会見を終えると、霧島は騎馬を組んでの写真撮影などで、小雨の降る中、屋外へと借り出された。ひとしきり取材対応を終えた音羽山親方は「これで私は、お役御免ですかね?」と、モンゴル出身とは思えない慣用句を用いて、報道陣の前から去った。向かったのは霧島のもと。小雨の降る中、写真撮影している様子を、傘も差さずに少し離れたところから、写真撮影が終わるまで、優しい笑顔で見つめる姿は、本当の兄や父のようだった。【高田文太】

