9日から公開される映画「ビジランテ」は、閉鎖的な地方都市を舞台に毒々しく、生々しい人間ドラマを描いている。

 大森南朋、鈴木浩介、桐谷健太の個性派が3兄弟を演じ、心を剥き出しにするような熱演だ。厳冬の川につかるシーンなど、文字通り体を張っている。

 メガホンは、今年「22年目の告白-私が殺人犯です-」をヒットさせた入江悠監督(38)。若手有望株と言われるこの監督による俳優の追い込み方は半端ではないようだ。大森ふんする長男の恋人役を演じた間宮夕貴(26)が明かす。

 「撮り直しの時にどこが悪いという指摘はないんです。ただ『もう1度行きましょう』と言われる。いろいろ考えるんですけど、テイクを重ねるうちに自分でも何が良くて何が悪いんだか分からなくなるんです。それが監督の狙いなんでしょうし、仕上がった作品を見ると納得するんですけど、撮影中は何で、何で、何で…と追い込まれていく」

 終盤の乱闘シーンは72時間ノンストップで撮影された。

 「10分足らずのシーンだと思うんですけど、気がつけば72時間。途中仮眠とかも無く、ひたすら撮影が続けられる。室内でしっかり遮光されているから、日が昇ったり、沈んだりしているのも分からない。頭はもうろうとしてきて。撮影が終わったのが日中だったんですけど、外に出て陽光を浴びたときには体が溶けるような感覚がありました」

 ストーリー上、極限まで追い込まれる大森や桐谷の血走った様子にリアリティーがあったわけである。

 「考えてみれば私たち役者には撮影準備の間にひと息つくタイミングがありますが、監督やスタッフはその間も打ち合わせや機材の修正で文字通り休む間がない。文句言えませんよね」

 もちろん短時間の休憩はあったのだろうが、監督には俳優を上回る持久力と覚悟が必要ということなのだろう。

 記憶をたどると、名優と言われる人が「追い込まれる」場面に2度遭遇したことがある。

 84年、黒沢明監督の「乱」の撮影現場に配給会社の人から誘われた。黒沢フィルムスタジオ(横浜市)が完成したばかりで、併せてその最新設備も見てもらいたいとのことだった。

 完璧主義の黒沢監督は「雑音」を嫌うので、見学の機会はめったにない。願ってもない話だった。

 監督にはスタジオにいるのは「ごく内輪の関係者」と伝えられていたようで、マスコミ向けのよそ行きではなく、自然体の演出風景を見学することができた。

 スタジオ内には城内のセットが組まれており、井川比佐志(81)ふんする重臣の抜刀シーンがその日の撮影だった。入念なリハーサルが繰り返された後、監督の厳かな「スタート!」で本番が始まる。が、「もう1回」「何度やったら分かるんだ」…1分足らずと思われるそのカットにOKは出ず、延々と時が過ぎていく。

 監督は井川の抜刀の角度とタイミングが気にくわないようなのだが、見学している私たちはもちろん、井川本人にもその違いが分からないようだった。

 重苦しい撮影は2、3時間続いただろうか。とうとうOKは出なかった。監督は「もうダメだ。メシにしよう」と昼食休憩を宣言。スタッフと談笑しながらスタジオを後にしてしまった。

 目を背けたくなるような場面だが、一方で好奇心には抗えずセットの陰に居残った。独り残された井川から目を離すことができなかった。スタッフ、キャストが全員去った後、井川は抜刀のしぐさをひたすら繰り返し、仕切りに首を振る。遠目に分からなかったが、目は血走っていただろうし、手のひらには血がにじんでいただろう。

 劇中の迫力、悲壮感はこうやって作られていくのだ。安部公房、勅使河原宏、山田洋次…黒沢監督以外にも演劇、映画界の名匠に重用された実力派俳優がここまで追い込まれていくのを目の当たりにし、実感したことを覚えている。

 対照的に黒沢監督は女優陣にはめっぽう優しい。「乱」の撮影現場にはその後も3、4度お邪魔したが、原田美枝子、宮崎美子らと談笑するシーンを何度か見かけた。女優陣と語らいながら現場をリラックスさせ、叱られ役を作って引き締める。監督ならではの現場コントロール法ではないのか、と思った。

 93年には、調布の日活撮影所で名優三国連太郎が伊丹十三監督にじわじわと追い詰められる様子を目撃した。作品は「大病人」。自らが末期がんと知った映画監督が混乱し、荒れ狂い、やがては最期の迎え方に向き合うストーリーだ。

 ヒット作を連発して自信満々の伊丹監督は10歳上の先輩名優にも容赦がない。移動式ベッドで移動中に暴れて、そこから転落する場面。「ダメだ」「全然ダメだ」…テイクが重ねられていく。三国が怒ってスタジオを出ていってしまうのではないか。そんな心配をよそに監督のダメ出しは続き、三国は「ハイ」「ハイ」と素直に応じる。ベテラン俳優の心中も極限だったのだろう。長めのセリフが飛んでしまう局面もあった。

 この時は、撮影後に伊丹監督のインタビューを予定していて、早めに着いたので撮影風景ものぞいておこうというシチュエーションだった。監督はそこにマスコミの目があることは知らなかっただろうが、飛ぶ鳥を落とす勢いの当時は、意識していても同じように振る舞ったのではないかと思う。

 ベテランの域に達してから三国が「しごき」のような演出を受けたのはこのときだけだと思うが、この年の日本アカデミー賞では主演男優賞という結果を残した。名演の陰には、こんな修羅場がある。【相原斎】