直近2回の引っ越しの際、自宅書棚などにあった書籍を思い切って推定1000冊以上処分してしまったのだが、どうしても「捨てられなかった本」がまだ何冊も残っている(※どうでもいいが、その中の一冊が1980年刊「ツービートのわッ毒ガスだ」)。

先ほど、今の書棚を何げなく見渡してみると、奥の方に宅八郎さんの著書「処刑宣告」(太田出版)が、「捨てられなかった本」として残っていた。

95年3月発売、その直後に購入した宅八郎さんの著書「処刑宣告」がまだ自宅にあった。「イカす!おたく天国」は見つからず
95年3月発売、その直後に購入した宅八郎さんの著書「処刑宣告」がまだ自宅にあった。「イカす!おたく天国」は見つからず

「おたく評論家」としてメディアに登場していた宅さんが当時、「報道被害」を受けたと感じたメディア関係者らに対し徹底した「報復」「復讐」をする話などが書かれているのだが、発売されたのは95年3月。

発売直後に購入したはずのため、同書は実に25年半以上、保管し続けていたことになる。さすがに経年劣化で紙は茶色くなっているが、印字などは鮮明なままで、問題なく読める。

書棚を見返してみたのも、宅さんが8月に小脳出血で亡くなっていたことが数日前に分かり、突然の訃報を悼みつつ、「そういえば宅さんの著書はまだ自宅にあっただろうか」と、ふと思ったためだ。宅さんの著書ではほかに91年発売の「イカす!おたく天国」も購入したが、こちらは処分した記憶はないものの、自宅にはなくなっていた。

07年4月、東京の渋谷区長選に立候補した宅八郎候補が渋谷駅ハチ公口でマジックハンド片手にメイド姿の女性とともに叫んだ
07年4月、東京の渋谷区長選に立候補した宅八郎候補が渋谷駅ハチ公口でマジックハンド片手にメイド姿の女性とともに叫んだ

時系列が若干不鮮明だが90年ごろ、某深夜番組に登場した宅さんが、トラブルになったというメディア関係者の前で、その人が関係している雑誌を放送中にいきなりビリビリと破り宣戦布告するという、近年あまりないレベルの“放送事故”的状況を偶然テレビで見て、衝撃を覚えたのが初めての大きな印象だっただろうか。

そんなこんなで著書2冊を購入するに至ったわけだが、まったく親しい関係や深い関係ではなかったものの、筆者自身、宅さんとは数回ほど会ったり、電話で何度か話したりしたことがある。

初対面は「処刑宣告」発売翌年の96年秋。ある本の著者を発売前、東京・渋谷の喫茶店で取材していたところ突然、誰かから筆者の携帯電話に電話がかかってきた。出ると「あの~、宅八郎と申します。Hさんでしょうか? 今からそちらにおうかがいしてもよろしいでしょうか?」とハイテンションで話してきたので、「なぜ宅さんが?」「果たして本物なのか?」などと動揺し、意味が全く分からなかったものの、宅さんの著作や連載はほぼ読んでいたこともあり、「も…もちろん、大丈夫です」と応じた。 

とはいえ、すさまじい内容の「処刑宣告」を読んだばかりだったこともあり、異様な緊張感に包まれたことも事実。

電話の数10分後くらいに宅さんは、「どうも、宅で~す」と言いつつ、笑顔で、しかしとてつもない鋭い目付きをしながら、店に入ってきたことを覚えている。

その著者が事前に筆者の携帯番号を宅さんに教えていたための“サプライズ登場”だったのだが、なぜ宅さんがその場に突然来たかというと、当初筆者は知らなかったのだが、その本の出版プロデュースを実は宅さんがやっていたためだった。突然ゲリラ的に電話をかけてきて、直後に合流する…という宅さんらしいノリをさっそく“体感”したわけだ。

その後はその著者を交え2時間近く話し込み、取材が終わってその著者が帰った後、宅さんと2人でタクシーに乗って別の場所に移動したのだが、車内では80年代前半のアイドルソングネタなどの話でヒートアップし「今度“80年代アイドル縛り”で朝までカラオケしましょうよ」(宅さん)、「私はとにかく田原俊彦の最高傑作『ハッとして!Good』(80年発売)が歌えれば、それで満足なんです」(筆者)などという展開の会話になったことはなったのだが、その後カラオケは結局、実現はしなかった。

とにかく当時、宅さんは、自身が許せないと感じる言動をするなどした複数のメディア関係者らに対し、徹底した「報復」を続けることで知られていた存在だったから、突然の初対面となったことで正直、多少構えてしまったのだが、ただマニアックなジャンルの会話になると、話が尽きることがないという感じだった。

その後は、宅さんが関心を持っていたオウム真理教問題などのことで何度か電話で話したりした程度で、最後に会ったのは、07年4月、宅さんが東京・渋谷区長選に出馬した時だったか。ハチ公前広場でメイド服姿の女性に囲まれつつ「ハチローハチロー、タクハチロー。渋谷をもっと『萌える街』にしたい!」などと熱く演説しており、その後に「渋谷系」についての思いを聞いたりした。

結局ここ十数年、話す機会がないままだったが、前述の渋谷の喫茶店でも、著者の男性と、目の前で大きな声で文章の表現などについて怒鳴り合う寸前のようなムードでアツい議論を始めたり、その後たまたま立ち会った別のマスコミ関係者とのやりとりの際も、一切妥協せず、仕事の進め方に対する考えなどを“ガチ”モードで語ったりしていたから、物事に徹底して真剣に向き合う人という印象も持った。

宅さんのような存在は今の時代、もうなかなかあらわれないのではないかとも思うが、数少ない宅さんとのやりとりを思い出しつつ、約25年半ぶりに「処刑宣告」を読み返してみようかとも思っている。心よりお悔やみ申し上げます。

【文化社会部・Hデスク】