退団後は女優として活躍する元月組トップ紫吹淳。テレビのバラエティー番組では、浮世離れしたキャラクターで注目された。トップを「孤高の存在」ととらえ生活感を消してきたゆえでもあり、自炊生活など「想像もしなかった」。ところが、長引く自粛期間に、料理にはまった。自身もびっくりの変化だったという。【取材・村上久美子】
新型コロナウイルスの影響で、出演予定のミュージカルも中止になった。
紫吹 外出もできないし、おいしい物でも作ろうか-と(笑い)。こんなに料理する日がくるなんて…。人間力が上がったかな。
「孤高の存在」であるトップとしての信念を貫くあまり、退団後も“生活力”は上がらず。際立った天然ぶりがバラエティー番組でも取り上げられてきた。
紫吹 私自身も、こんなに料理をする日がくるとは思っていなかったんですけれども…お掃除も! ただ、お掃除は宝塚(音楽学校)時代からたたき込まれていたので、1回やり出すと、スイッチが。実はお掃除している最中に校章が出てきまして、これつけてやったら、もっとお掃除できるかなと思って!
恩師の思い出もよみがえり、自分を見つめ直した。
紫吹 考えれば、何もできない自分がいる…やばい…って思った。でもね、宝塚で学んだことで自然と、お料理も、キッチンをきれいに片づけるまでやらないと気がすまない(笑い)。
宝塚での“学び”は家事にも生かされていたが…。
紫吹 立つことはないと思っていたので(自宅の)キッチンが低くて、やりにくい。レンジ兼オーブンがあるんですが、オーブン機能は初めて使いました。
初めて作ったのはハンバーグ。自慢の料理はビーフシチューだという。
紫吹 うなるほどおいしいですよ。マネジャーも「お金出せる」と言ってくれた。家にあったちょっと高めのワイン1本使って。お料理にはお砂糖は使わず、ハチミツを使う。そのせいか2~3キロやせました。
焦げやすいハチミツで豚の角煮を作ろうとして、焦がしてしまったことも。
紫吹 年齢的に太るのはしょうがないけど、自粛期間に太るのは嫌だと思ったので、家でベリーダンスなどを踊っていました、毎日、時間を決めて。「宝塚ぶり」くらい規則正しい生活でした。踊りながら汚いところを見つけては掃除をして。こんなに家事をする自分にびっくり。結婚したら-とか、想像ではありましたけど、結婚をしない状況でそんな時代が!
閉塞(へいそく)感を覚えても、楽しみを見つけられる。その精神は、宝塚時代に鍛えられた。
紫吹 (宝塚時代は)納得いかない役をもらうこともあります。でも演じるにあたり、楽しみを見つけて、前向きになれたんです。
努力を重ねて、立ったトップの座。その重みは、経験者にしか分からない。
紫吹 よくなれたなって思うし、すごく頑張らないと、(トップで)いられなかった。自分じゃない自分…しっかりした背中を見せる責任感というか。組を背負っているので、緞帳(どんちょう)が下りるまで倒れちゃいけない。私、退団を発表して人相が変わったらしいです。「11時5分」の目が、シュッと(穏やかに)なったって(笑い)。
トップ就任前に、ベルリン公演で主演を経験した。
紫吹 各組選抜で、トップじゃないのにトップの立場で。衝撃でした。メンバーも温かく、いい思い出。ベルリンメンバーは、次々トップに。最下級生が(元星組トップ)柚希(礼音)。すごいメンバーでした。
ベルリン公演メンバーと今夏、公演予定も中止に。古巣の劇団は、再開が決まり、ようやく動き始めた。
紫吹 順序だてて物事を進める子も、ぶっつけタイプのおおらかな子もいる。でも、タカラジェンヌは乗り越えられると思う。選ばれて入った強さがある。プレッシャーを力に代えられるんじゃないかな。
紫吹の持論は「やった分だけ返ってくる」だ。
紫吹 体がかたければ柔軟、歌が苦手ならボイストレーニング。備えだけはきっちりとして、ポジティブに過ごす。人生の中でいつかプラスになるから。私だって、コロナがなければ、一生オーブンは使わなかったかも(笑い)。
宝塚時代から身辺の世話をしてくれ「ばあや」と呼ぶマネジャーに、自炊料理を食べてもらった。ばあやも「すごくお料理ができるように」と成長を認める。
紫吹 やればできるって立証できた。ははは(笑い)。根性で頑張れるのは、宝塚のベースがあるから。ちょっと料理がおもしろくなってきたので、料理本は? みたいな話もチラホラ出てきたりしています。
☆紫吹淳(しぶき・じゅん)1968年(昭43)11月19日、群馬県生まれ。3歳からダンスを始め、小・中学でクラシックバレエ。86年、宝塚歌劇団に入団。花組に配属。その後、星組、月組、専科へ。99年中国、00年ベルリンなど海外公演も経験し、01年月組トップに就任。04年退団。女優に転身した。身長170センチ。愛称「りか」。