小野但馬守政次(高橋一生)の処刑という最大のヤマ場が描かれたNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」33話での、井伊直虎(柴咲コウ)の言葉です。2人で仕組んだ井伊家再興の秘策が失敗。直虎と井伊を守るため、“独断で徳川に弓を引いたクーデター犯”として投降し、磔(はりつけ)にされる道を選んだ政次の選択を受け止めた場面です。

 尼僧として、刑場で経を唱えて魂を送るという文脈かと思ったら、執行人のヤリを奪って自ら政次の心臓に突き刺すという、息が止まる展開。突き刺したまま政次をにらみ上げ「地獄へ堕ちろ、小野但馬!」「日の本一の卑怯者と、未来永劫(えいごう)語り伝えてやるわ!」。どうしたら自分の犠牲がより価値を持つか。離れていても正確に理解してくれた直虎の一撃に、血を吐く政次が幸せそうなこと。「未来永劫」生きてくれるという直虎を一直線に見つめ、「やれるものならやってみよ! 地獄の底から見届け…」。あくまでも悪役として息絶える、究極の愛情が描かれました。

 今川の犬という嫌われ者になって直虎を守ってきた政次。それを知った時に2人で交わした「われをうまく使え。われもそなたをうまく使う」という約束を、お互い最後まで守ったのですね。敵対する家同士という、ややこしい環境で魂を寄せ合って生きてきた2人。政次から託された碁石を握りしめ、最後まで魂を受信し合って「最後の一手」にたどり着いた。誰も入る余地のない幼なじみの最終形にずしんときました。

 素晴らしい脚本家にこれだけの死を描いてもらえた政次も、演じた高橋一生さんも果報者。「残酷すぎる」という声もあるようですが、大河黄金期といわれる70~80年代には、人の死の理不尽を正面から描いた名場面が山ほどあったので、きっちりDNAを引き継いだ「直虎」の骨太にしびれました。

 処刑シーンで印象に残るのは、「黄金の日日」(78年、脚本市川森一)の善住坊(川谷拓三)のノコギリ引き。どこかの大名にそそのかされて信長暗殺を企てるも失敗。土の中に首まで埋められ、通行人が木製のノコギリで1回ずつ首を引いていくというむごい処刑は子供心に衝撃。ひどいありさまにおいおい泣く助左(6代目市川染五郎)とお仙(李麗仙)の姿は過酷な時代の悲劇そのもので、好きな人にとどめを刺してもらう展開は、今回の政次処刑に重なりました。

 石川五右衛門(根津甚八)の処刑も名場面。ざんばら髪で顔面血だらけ。不敵なカメラ目線で「堺など行ったことがない。船にも乗ったことがない」と仲間の関与を隠し通し「俺ができなかったことをあいつがやってくれる」と願って処刑台へ。後ろ手に縛られたまま、引きずる足とあごではしごをはい上がるシーンが壮絶で、好きな人(夏目雅子)の面影にニヤリと笑ってあおむけで釜に身を投じています。

 「国盗り物語」の最後で明智光秀(近藤正臣)が民になぶり殺しにされる無常観とか、「獅子の時代」で嘆願状を手にした加藤剛の無惨な死に方とか。かつては、暗殺、切腹、斬首などの死に方は、生き様と同じくらい重要に描かれていたことを思い出します。平成以降は、燃え上がる火のイメージ映像や、ナレーションで死んだことをお知らせする「ナレ死」などのマイルド志向。本能寺も、能を舞うことで死を象徴したり、すごいところだと、死んだ信長が江姫を馬に乗せて草原を走るファンタジーなど、遠回しな演出にシフトしています。

 死をきれいにまとめるより、個人的には40年たってもくっきり覚えているくらいずっしり向き合ってくれる作品の方が好み。政次の処刑は、大河名場面に刻まれる神回だったと思います。史料に乏しい「直虎」は、作家の世界観でぐいぐい見せる大河本来の自由さがあって、ここまでの物語を作った森下佳子脚本の力量に感銘を受けるばかり。なんかもう、最終回みたいな喪失感ですが、アンドレを失ったオスカルの戦いはこれからであります。

【梅田恵子】(B面★梅ちゃんねる/ニッカンスポーツ・コム芸能記者コラム)