カンフー映画で一時代を築いた香港の世界的俳優サモ・ハン(65)が、新作映画「おじいちゃんはデブゴン」(27日公開)公開を前に11年ぶりに来日し、日刊スポーツの単独インタビューに応じた。サモ・ハンは今作で共演したユン・ピョウ(59)、そしてジャッキー・チェン(63)ら、香港映画を世界に広めた盟友との共演について「もちろん、やりたい」と意欲を見せた。

 -昔ながらのカンフーアクションに、ロシア・ウラジオストクでの空撮など、現代らしいシーンが融合していた。香港映画は、どう進化しているのか?

 サモ・ハン 監督によっても違うと思いますが、当然、撮り方の変化はありますよ。どこのシーンでどこを撮るから、こういう撮り方にしようと考えて撮る。今回は、ウラジオストクをどう見せれば1番、分かりやすく、よく見えるかを考えて、ドローンを使って撮影しました。

 -香港映画が1番、変わったところは?

 サモ・ハン 1番、大きく変わったことは資金不足になったこと。低バジェット、低コストで撮る作品が多くなった。結局、市場がないのです。

 サモ・ハンは10歳で中国戯劇研究学院に入学し、ジャッキー・チェンやユン・ピョウら優秀な生徒を集めた「七小福」に選ばれ、リーダー格となった。13歳で「愛的教育」(61年)に出演し映画デビューすると、71年に香港を代表する映画会社ゴールデン・ハーベストに入社。「燃えよドラゴン」(73年)のオープニングで、主演のブルース・リーと戦う巨体ながら俊敏な少林寺僧役がきっかけで、世界に知られるようになった。

 80年代にはプロデュース業も手がけ、ジャッキーと共演した「プロジェクトA」(83年)ではアクション監督、「五福星」(84年)と「スパルタンX」(84年)では監督も兼任した。当時の香港映画は世界で人気を集め「キヤノンボール」(84年)は、ゴールデン・ハーベストがハリウッドの20世紀フォックスと共同製作した。

 -香港映画の復活に必要なことは

 サモ・ハン まず、立ち直るには資金が必要ですよね。出来れば、政府の援助や支持が取れると1番いい。香港映画が、かつての隆盛を取り戻すのは、やることはたくさんあると思うし、いろいろなことをやっていかなきゃいけないと思う。特に香港の若い人は、中国大陸の若い人と違って、世界を見ていて、世界観を持っていますから。文化の違いは当然、出てくる。彼らを育て、彼らが(映画界に)上がってくるには…ラブロマンスみたいな、普通の映画を撮るなら必要ありませんが、カンフーやアクション映画を撮るなら、必要なのは資金と時間です。それから、アクションのニュースター、ニューヒーローが出てくるのが絶対に必要になります。

 -今回の映画の中にも、ガラスを突き破って2階から1階に落ちる、香港映画らしいアクションがあった

 サモ・ハン 窓を突き破ったりするアクションは、誰でも出来ます。私が育てていかなければいけないと思っているアクションは、1シーンを育てるのではなく、1本の映画であり、映画に関わっていく若いスターを育てることが大事なのです。

 「おじいちゃんはデブゴン」は、現代の香港映画界でトップを走るアンディ・ラウ(55)がプロデューサーを務め、出演もした。

 サモ・ハン 彼は今回、プロデューサーですが、彼が新人の時に一緒に映画をやっていますから私のこと、私の仕事のやり方、私が現場をどうやってコントロールするかを、非常によく分かってくれている。好きにやらせてくれるんです。

 「おじいちゃんはデブゴン」ではユン・ピョウとの共演が実現した。ジャッキー・チェン含め盟友との共演は今後、実現するのか?

 サモ・ハン 2人との関係は変わっていないよ。相変わらず、自分の弟分だからね。もちろん、自分がやりたいですよ。全く可能性が、ないわけじゃないし、チャンスさえあればやりたいですよ。

 -今後、どのような仕事をし、人生を送りたいか

 サモ・ハン この先、どのように変化していくかは、自分でもまだ分からない。この先、撮っていく映画によって変わっていく部分があると思うので、次に撮った映画を見ていただければ、自分がどのように変化したか、分かっていただけると思う。7、8月にコメディーですが、私が監督、主演の映画を撮ります。まだまだ、やりますよ。

 -日本のファンにメッセージを

 サモ・ハン 皆さん、長年、僕のことを応援してくれて非常に感謝しています。ありがとうございます。またこうして皆さんの前に姿を現すことが出来て、非常にうれしいです。とにかく健康に気を付けて、たまに楽しく過ごしてください。映画「おじいちゃんはデブゴン」を、ぜひ応援してください。皆さんが見た後も、面白かったと思ってもらえる作品だと思います。

 おじいちゃんと言われる年齢になっても、サモ・ハンの映画への情熱は燃え上がる一方だ。【村上幸将】

 ◆「おじいちゃんはデブゴン」 人民解放軍で要人警護にあたっていた拳法の達人ディン(サモ・ハン)は退役後、北京からロシア国境に近い中国最北東部にある故郷の綏鎮市に移り住み、独り暮らしをしていた。66歳になって物忘れが激しくなり、医師から認知症の初期症状と診断された。心を許すのは隣家に住む少女チュンファ(ジャクリーン・チャン)だけ。チュンファの父レイ・ジンガウ(アンディ・ラウ)は定職に付かず、ギャンブルばかりして中国マフィアに多額の借金をし、父とけんかするたびに逃げてくるチュンファを、ディンは孫のようにかわいがっていた。