演歌歌手北島三郎(80)が5日、都内で、「兄弟仁義」などを手がけた作曲家北原じゅん氏(享年87)の「お別れの会」に参列した。

 北原氏は今年5月6日、転移性肝がんのために都内の自宅で死去した。

 樺太出身の北原氏と北海道生まれの北島とは、同郷という縁もあった。「『兄弟仁義』は映画でも9本撮った。少しは恩返しができたかなと思う」としのんだ。

 厳しいレッスンで知られた北原氏だが、「兄弟仁義」では「何も言われたことがない」という。「ほかの曲のレッスンも1回やったら『それでいいんじゃないか』。何も言わずに満足をしてくれた」。

 西郷輝彦(70)は、64年発売のデビュー曲「君だけを」を作ってもらった。歌手代表としてあいさつし、「先生のおかげで、鹿児島の家出少年が『西郷輝彦』になった」と感謝。「命ある限り歌い続けると自分に言い聞かせました。そして、私が死んでも歌は永遠に生き続けます」と涙ながらに遺影に呼び掛けた。

 水前寺清子(71)は「先生から『がなれ!』と言われて歌って、それで声をつぶしました。そして、今の私があるんです」。

 瀬川瑛子(68)は、ヒット曲「命くれない」のカップリング曲「忘れ傘」の歌唱指導時のエピソードを明かした。「テンポのよい曲だけど、私はテンポが苦手。『それでも歌手か!』と叱られた」と振り返った。続けて「昨年の私のリサイタルには、あまり外に出かけない先生が来てくれた。それがすごくうれしかった」と涙をこぼした。