ネット配信を優先した映画は作品賞にふさわしいのか。今年のアカデミー賞で論議を呼んだアルフォンソ・キュアロン監督の「ROMA ローマ」をようやく劇場で見た。

メキシコシティで育った監督の半自伝的物語は、住み込みの家政婦の目を通して描かれる。正直、冒頭5分くらいは、ホームビデオのようなゆったりとした進行にどうなることかと思ったが、しだいに家族間にさざ波が立ち、歴史の激動が影を落とすようになって、その奥行きにぐいぐい引き込まれた。

主演のヤリッツァ・アパラシオを始め無名の新人俳優はいずれもみずみずしい。モノクロ映像にドキュメンタリーのように自然になじんでいる。そして「道具」使いが秀逸だ。石造りのエントランスにセンチ単位の隙間で駐車する自家用車や、愛犬のウンチが家族それぞれの感情を引き出すツールとして効果を上げる。

印象的なのは終盤の海水浴シーン。外国語映画賞でライバルとなった「万引き家族」にもくしくも同様のシーンがあったことを思い出したが、こちらも命の重さを印象付けて記憶に残った。

家族はそれぞれにちょっとしたわがままを言ったり、かんしゃくを起こしたりするが、総じて優しい。アルフォンソ監督の心温まる作風はこういうところから生まれたのだ、と思わせる。家政婦の恋人として登場する男性だけがかなり利己的で暴力的だ。その男根や彼が操る棒術がそんなイメージを決定付ける。

ゆったりと作っているようで、実は緻密に計算されたモノクロ映像は美しく飽きさせない。確かにアカデミー作品賞を取ってもおかしくなかった映画である。

だが、企画段階でホームビデオのような題材を提案されてハリウッド・メジャーがゴーサインを出したかと言えばちょっと疑問だ。莫大(ばくだい)な配信料で潤い、多様なソフトを求めているネットフリックスだからこそ、実現できた企画なのではないだろうか。

配信料は固定だから、どの作品がどれだけ再生されたかは収入に関係ない。作品評価とともに常に興行的な競争にさらされている劇場用作品とはそもそも出発点が違うのだ。

配信契約をしていなかったので、劇場公開が待ち遠しかったのだが、都合のいい時間帯の上映はかなり郊外の劇場だけだった。「文芸作品」にはそぐわない大劇場。平日昼にしては客足は決して悪い方ではなかったと思うが、3割程度の入りだった。

作品の内容以外にもいろいろ考えさせられた。