フジテレビ系トークバラエティー「はやく起きた朝は…」(日曜午前6時30分)は、今年4月に前身から29年目の放送に突入した。プロデューサーを務めるのは、同局「オレたちひょうきん族」の“ひょうきんディレクターズ”の三宅デタガリ恵介としても知られた、三宅恵介エグゼクティブディレクター(73)。テレビ業界歴52年目の三宅さんに、あれこれと聞いててみた。

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現在、プロデューサーを務める「はやく起きた朝は」は、1994年(平6)4月に「おそく起きた朝は…」として始まった。制作会社の千代田企画の担当プロデューサーが、萩本欽一(81)とともに“師匠”と呼ぶ、2010年(平22)年に亡くなった常田久仁子さん(享年82)だった。

「常田さんは元々、ラジオの文化放送の人だったんだけど、フジテレビの開局で移ってきてバラエティーをやっていた。『ひょうきん族』の横澤彪プロデューサーも常田プロデューサーの下でディレクターをやっていたことがあるそうです。僕が入った頃はコント55号が出演していた『お昼のゴールディンショー』をやっていました。大将(萩本)の才能を見いだした人で『欽ちゃんのドンとやってみよう!』のプロデュサーも務めました」

常田さんはフジテレビ退社後も、千代田企画でテレビ東京「三波伸介の凸凹大学校」、フジテレビ「アイ・アイゲーム」「クイズ!早くイッてよ」などを手掛けたヒットメーカーだった。

「僕は番組作りの基本を常田さんに教わりました。まだ、テレビ界に入って1年もたたないADの時に、常田さんに『海外に行って、びっくりする人、探してきて』と命令されて、単身エジプトに行きました。現地で、新聞広告を出したりして、72年4月に始まった『世紀のびっくりショー』に出演するアクロバット芸人を見つけて、日本に連れてきました。まだ、22歳の時です。いい勉強になりました」

恩人の常田さんと組んでの番組作り。日曜の朝9時半という時間帯は、三宅さんにとって初の経験だった。

「日曜の朝9時半の枠で、千代田企画で制作するから先輩の常田さんと一緒にやれと。私は当時、バラエティーの第2制作でフジテレビの担当プロデューサー。それで、フジの広報とかタイムキーパーの若い女の子をカラオケに連れて行って、いろいろ情報を聞いた。それで女性をターゲットにした歌番組にしようと思ったんだけど、基本はトークにしたんです。出演者の3人が思い出のある曲を1曲ずつ持ってきて、それを流しながら話すトーク番組。それで出来たのが、松居直美、森尾由美、タレント磯野貴理子の『おそく起きた朝は…』。最初は男の人がいた方がいいだろうと、競馬評論家の井崎脩五郎さんにも出ていただきました。音楽番組だったんですが、次第に今の形になりました」

3人による“女子トーク”は人気を呼んだ。日曜の朝9時半スタートにもかかわらず、ゲストによっては視聴率が15%を超えることもあった。【小谷野俊哉】(続く)

◆三宅恵介(みやけ・けいすけ) 1949年(昭24)2月5日、東京都生まれ。慶大経済学部卒業後、71年にフジポニー入社。「欽ちゃんのドンとやてみよう!」「笑っていいとも!」「ライオンのいただきます」「タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフ」「あっぱれさんま大先生」「ライオンのごきげんよう」などのディレクターを務める。80年フジテレビに転籍。81~89年の「オレたちひょうきん族」では「ひょうきんディレクターズ」の「三宅デタガリ恵介」としても活躍。90年からクリスマス深夜放送の「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」では、今も演出を務める。04年4月スタートの「はやく起きた朝は…」(日曜午前6時30分)では番組開始からプロデューサー。09年の定年退職後もフジテレビに嘱託のエグゼクティブディレクターとして在籍。千代田企画社長。