放送倫理・番組向上機構(BPO)が9日、オンラインで放送倫理検証委員会の会見を開いた。その中で、放送倫理違反の疑いがあり、2月に審議入りを決めた、NHK BS1で21年12月26日に放送(同30日に再放送)したBS1スペシャル「河瀬直美が見つめた東京五輪」に、重大な放送倫理違反があったと判断したと発表した。

番組では、河瀬監督と公式映画チームが、21年7月23日の東京五輪開会式の最中に会場の国立競技場周辺を歩き、コロナ禍で緊急事態宣言が発出された中、五輪に反対するデモを行う人々らを取材したり、福島県営あづま球場など各競技場で、現場の運営担当者に取材許可の交渉を自ら行うところなどに密着。また同監督の教え子で撮影に参加した、X氏にもインタビューを行った上で、同氏が東京五輪期間中に、さまざまな立場の人々に取材、撮影するところにも密着している。

問題のシーンは、ドキュメンタリーの後編にある、X氏が男性を取材した場面だ。年配の男性が公園で「デモは全部、上の人がやるから(主催者が)書いたやつを言った後に言うだけだから」「予定表をもらっているから、自分。それを見ていくだけで」などと語っている。その取材の前に男性が街中を歩いているシーンが流れるが、そこに「五輪反対デモに参加しているという男性」「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」という字幕がついている。

番組を制作したNHK大阪放送局は今年1月10日に、字幕の一部に、不確かな内容があったと発表。

「映画の製作中に、男性を取材した場面で『五輪反対デモに参加しているという男性』『実はお金をもらって動員されていると打ち明けた』という字幕をつけました。NHKの取材に対し、男性はデモに参加する意向があると話していたものの、男性が五輪反対デモに参加していたかどうか、確認できていないことがわかりました。NHKの担当者の確認が不十分でした」と説明。その上で「番組の取材・制作はすべてNHKの責任で行っており、公式記録映画とは内容が異なります。河瀬直美さんや映画監督のXさんに責任はありません。字幕の一部に不確かな内容があったことについて、映画製作などの関係者のみなさま、そして視聴者のみなさまにおわびいたします」と、公式記録映画とドキュメンタリーの内容は違うとして、謝罪していた。

BPOは、問題のシーンについて

「幾度かの変遷を経て最終的に、『五輪反対デモに参加しているという男性』『実はお金をもらって動員されていると打ち明けた』という字幕を付けて男性を紹介し、『デモは全部上の人がやるから(主催者が)書いたやつを言ったあとに言うだけ』『それは予定表をもらっているからそれを見て行くだけ』と男性が発言する映像を用いた」

「これらにより、本件放送は視聴者に対し、五輪反対デモは金銭によって動員されていると男性が打ち明け、男性が参加した五輪反対デモでは主催者が決めた言葉をそのまま発声し、さらに普段から男性は渡された予定表にしたがってデモに出かけていた、という内容を男性の発言として伝えることになった」

と説明。

「男性が五輪反対デモに参加した事実はない。また、男性が別のデモに参加し、金銭の授受があったとされることについても確証は得られていない」

と、事実も確証もNHKは得られていなかったと指摘した。

その上で

「本件放送の結果、五輪反対デモは確固たる信念を持った者が集まって行われているのではなく、主催者が金銭で参加者を組織的に動員し、主催者の意向に沿って行動させているという誤った印象を与えることとなった」

と、番組が五輪反対デモに誤った印象を与えたと指摘した。そうなった要因については

「事実に反した内容を放送した最大の要因は、取材の基本を欠いて事実確認をおろそかにしたこと、そして取材対象者に対する緊張感を欠いていたと考えられることにある」

とNHKの取材態勢を厳しく批判。具体的には

<1>取材した2時間ほどのインタビューでは、男性は五輪反対デモに参加した経験があるとも参加の予定があるとも語っていない。逆に、五輪反対デモには関心がなく、行ったこともないと明言している。ディレクターは公園でのインタビュー後、カメラが回っていないところで男性は五輪反対デモに行く予定はあると語ったとし、それがこの放送内容の根拠だと説明した。しかし、そのやりとりは録音や録画、メモで記録されておらず、近くにいたX氏も聞いていない。

<2>男性が五輪反対デモに行く予定はあると語ったのだとしたら、インタビューでは明確に否定していたことを踏まえて、ディレクターは取材の基本として、デモの日時や場所、主催者といった情報を聞き、そのとおりのデモが行われたかどうかを確認する必要があったはずである。また、「五輪反対デモに参加しているという男性」を放送するのであれば、男性に対しデモに参加したことを確認しなければならなかった。

<3>編集過程で男性が五輪反対デモに参加していたかの確認を求められたディレクターは、男性本人に直接確認せず、X氏に対して男性の参加可能性を問い合わせたにとどまったとヒアリングで述べた(前記のとおりX氏はそのような問い合わせ自体を受けていないと話している)。そもそも本件放送においてX氏は男性と同じ取材対象者である。取材者が取材対象者との間に持つべき適切な緊張感が存在していなかったのではないだろうか。そのため、ディレクターは取材対象者である男性に対する取材

や確認作業を、同じく取材対象者であるはずのX氏に依存してしまった。本件放送時に至ってもディレクターは男性の連絡先すら把握していなかった。

<4>「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」という放送内容も、事実確認という取材の基本を欠いた結果、事実と異なる内容になった。そもそも五輪反対デモに参加したことがない以上、男性は五輪反対デモで金銭による動員がなされていると「打ち明け」ることができない。委員会の調査によると、かつて別のデモで2000円程度の金銭を食事代として受け取ったことがあるという男性の発言を聞いたディレクターは、その点を深掘りせず、別のデモで本当に金銭の授受があったかの裏付けも取らなかった。男性の発した事実かどうか判然としない言葉の断片をとらえ、五輪反対デモでも金銭の授受があるのだろうと都合よく解釈し、本件放送に組み込んだ。字幕の「お金」「動員」という語句は、デモ参加への“報酬”として主催者が金銭を用意したかのような印象を視聴者に与えかねないが、そうした点が考慮された形跡もなかった。

<5>五輪反対デモで主催者の決めた言葉を発声し、予定表に沿って出かけていたと放送された男性の発言も、五輪反対デモに参加していない以上、事実と異なっている。ディレクターは、放送の根拠とした別のデモで男性がそうしたことを経験したかどうかの事実も確認していない。

その上で、BPOはNHKの取材に対し

「結局、デモに関する放送内容について適切な取材がなされていなかったと言わざるを得ない」

と判断した。

さらに、編集においても、取材を受けた男性とのやりとり

男性「デモは全部上の人がやるから(主催者が)書いたやつを言ったあとに言うだけ」

質問「デモ(が)いつあるとかはどういった感じで知らせが来るんですか」

男性「それは予定表をもらっているからそれを見て行くだけ」

は、五輪反対デモについて語ったものではなく、男性はインタビューの中で、五輪反対デモに参加したことがなく、参加する予定もないと語った。「デモは全部上の人がやるから」という発言は、男性がそれまでに参加したという別のデモについての体験を語っているに過ぎないが、番組ではその事実は明かされず、あたかも五輪反対デモの実体験を語っているかのように編集された。BPOは

「別のデモに関する発言を五輪反対デモの発言に“すり替えた”編集」

と指摘した。

さらに、本件放送の試写は計6回あり、ディレクターとチーフ・プロデューサー、編集担当者を基本とし、その他では専任部長が2回、エグゼクティブカメラマンが1回加わった。ただ、全体の編集が遅れていたため、2021年内の放送にどう間に合わせるかが最優先にされており、試写では問題のシーンに対する本質的な疑問が呈されることはなく、取材・編集過程のチェック機能として働かなかった。BPOは

「デモや広い意味での社会運動に対する関心の薄さ」

と批判。その上で、入局から20年近くになる中堅で、スポーツ番組を軸として経験と実績を積んでいたディレクターへの信頼も、問題を招いたと指摘した。

また、局の事後対応に関する付言として「字幕問題に限定されるべきではなかった」と指摘。

さらに、NHKは取材時から、番組内容などを男性に説明しておらず、放送が決まってからも何の連絡もしていないと指摘。男性は問題発覚後にNHKの面談を受けるまで自分が本件放送に登場したことも知らなず「撮りっ放し、放送しっ放しである」と批判。放送後、NHK職員は計3回にわたって男性と面談した中で、男性が本件放送を見ていないことを把握したが、男性に番組の全編も問題のシーンも見せていないとし

「“字幕問題”にとどまらず、取材相手への配慮や誠意を欠いていたことが今回の問題の根っこに潜んでいるのではないだろうか」

と厳しく指摘した。