「地下鉄の電車はどこから入れたんでしょうね」の「地下鉄漫才」で1970年代後半に一世を風靡(ふうび)した夫婦漫才コンビ、春日三球・照代の春日三球さん(本名近馬一正)が5月17日に緊急搬送された都内の病院で、胃潰瘍の傷からの出血多量により亡くなっていたことが18日、分かった。89歳だった。葬儀などは親族ですでに執り行ったという。
2013年12月25日付日刊スポーツ東京本社版紙面から、「地下鉄漫才」や地下鉄車両を地下に引き込む事業について紹介する。
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クリスマス。帰宅を急ぐお父さんで地下鉄は満杯でしょうか。東京メトロ、都営地下鉄、今年もお世話になりました。今回は、1927年(昭2)12月30日に開通、80年超の歴史を刻む地下鉄が舞台です。人々が行き交う雑踏に“地下鉄の父”がたたずみます。
照代が他界して、今はもう聞くことができなくなったが春日三球・照代の「地下鉄漫才」は死ぬほど面白かった。
三球「…しかし、地下鉄の電車をどっから入れたんでしょうねぇ。それ考えると一晩中寝られなくなるの」
照代「あなたも面白いこと言うわね」
三球「あらかじめ電車を地下に埋めておいてトンネル掘りながら『確かこの辺に埋めたよなー』『あったぞあったぞ、電車が』なんて」
照代「そんなわけないじゃないの」
三球「じゃ、あなた知ってるんですか?」
照代「当たり前じゃない。地下鉄の階段から入れたんですよ」
三球「え、そうなんですか?」
照代「常識よ」
三球「そうなんですか。よく改札が通れましたねぇ。それ考えると、また寝られなくなっちゃう」
照代「寝りゃいいじゃないの。眠そうな顔をして」
腹を抱えながら、しかし一体どうやって地下鉄は地下に入っていくのか、マジで考えた。後に地上の、巨大な車両基地を拝見し、そこからトコトコと電車が潜ってゆくのを見て納得した次第。マヌケな話である。
日本初(もちろん東洋初)の地下鉄開通は1927年(昭2)12月30日だった。その様子を31日付「東京朝日新聞」が伝えている。引用が長くなるが、当時の混乱ぶりが手に取るようにわかる。
「上野、浅草間の地下鉄道は三十日午前六時からにぎやかに営業を始めた。なにがさて珍し好きの東京人、朝から雪崩(なだれ)を打って各駅に押し寄せ、午前中だけで上野が二万、浅草が一万、その他の駅を合計するとザッと乗客四万人にのぼり、フランス陸軍服から型をとった服装の車掌五十名を初め、社員五、六十名テンテコ舞であった」
上野-稲荷町-田原町-浅草までの所要時間はわずか4分50秒。現在の東京メトロ銀座線の原形で、「地下を走る電車」を待つ行列は上野公園下から広小路まで連なり、その待ち時間は1時間以上、今も昔も物好きに野次馬は健在である。
そこで“地下鉄の父”に会いに行く。多くの人が行き交う地下鉄銀座駅プロムナードにその銅像がある。
早川徳次(のりつぐ)、がその人である。余談ながら、電気機器メーカー・シャープの創業者早川徳次(とくじ)とはもちろん別人物。
山梨県笛吹市出身。大正、昭和期の実業家で鉄道院時代に外遊した折にロンドンの地下鉄に感銘、さらにパリ、ニューヨークを回り調査研究して帰国する。
銅像の碑文は難解で、
夙ニ帝都ヲ立體的近代都市タラシムル計劃ヲ樹テ東京地下鐡道株式會社ヲ創設シ未曾有ノ難事業ヲ完成セリ洵ニ是レ我國交通史上ニ一新紀元ヲ劃スルモノ天下萬人之ニ依ツテ享クル利便頗ル大ナリ其ノ功績畏クモ天聴ニ達シ皇紀二千六百年記念式典ニ際シ紫綬褒章ヲ賜フ茲ニ同志相謀リ壽像ヲ建立シテ永ク後世ニ傳フト爾云
とある。
要するに、首都を立体的な近代都市にするため、東京地下鉄道株式会社を創設、未曽有の難事業を完成させた。日本の交通史上に新世紀を画するもので、多くの人が受ける利便はとても大きい。その功績で皇紀2600年(西暦1940年・昭和15年)の記念式典に紫綬褒章を授与された。
地下鉄開通までの苦労は「発祥の地物語」(相沢正夫著、日本書籍刊)「メトロ誕生-地下鉄を拓いた早川徳次と五島慶太の攻防」(中村建治著、交通新聞社刊)などに詳しい。一読をお勧めしたい。
さて、冒頭の「地下鉄漫才」である。
やはり地下鉄車両を地下に引き込むのは難事業であったらしい。
「発祥の地物語」の著者・相沢正夫はこう記述している。
「(地下鉄の)竣工期限は昭和二年六月三十日であったが約五カ月おくれた。しかし年末にはどうやら開通の見通しも立ち、十二月二日、電車の引き入れ作業が行われた。車両を下谷万年町の車庫(現・台東区上野3付近)から二十分の一勾配で掘ったトンネルを通し、上野-稲荷町の両駅間の地下線路に引き込むのだが、路面電車と違い、この搬入が地下鉄電車にとって処女運転である」
「上野発浅草行」(壱番館刊)の著者・新田潤は「引き込み線の途中で故障のため車両が動かなくなれば、トンネルは閉塞(へいそく)されてしまう。早川(徳次)は運転開始にあたり、乗務員と乗り込む人たちに向かって、こう言った」
「本日の試運転はわが国初めての試みであり、誰も経験したことのないことですから、細心の注意を払って運転しなければなりません。したがって運転中は林課長が運転手その他に命令をくだすほかは、誰も発言してはいけません。万一事故が起きたときには、沈黙を守って騒ぎ立てないでください」と書いた。
以来、この路線は「銀座線」として“成長”。浅草、上野、神田、日本橋、銀座、新橋、虎ノ門、赤坂見附、表参道、渋谷などを結ぶ、東京繁華街の中枢幹線となった。
開通以来80余年の歴史を紡いだ東京の地下鉄はさらに多くの路線を加え、現在その総延長は300キロ超にまで成長した。
無事地下鉄車両の引き込みが終わった時、早川は自ら沈黙を破って、思わず万歳三唱をしたという。
「身は羽化して登仙する思ひありと云ふことがあるが、地下に入ったのだから、それは一寸おかしいが、気分は正にその通りで、真に朗らかな気分になった」(「東京地下鉄道史」)
羽化登仙-古代の漢詩に倣い、背に羽がはえ、天にも昇る喜びに酔いしれたのである。【石井秀一】



