2月末で引退する調教師が語る連載「明日への伝言」。第2回は美浦・大江原哲師(69)が登場する。障害騎手として130勝を誇り、世界選手権にも日本代表として参加。騎手時代のこだわり、今の障害界への思い、命を救ってくれた1頭、そして騎手の道を志す孫へのエールなどを語った。【取材・構成=桑原幹久】

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馬事公苑の騎手課程に入ってから55年。あっという間で楽しかったね。僕の地元は福島市内で、中学を卒業して就職しようと考えた時、父親のつてで「こういう世界もあるぞ」と競馬を教えてもらった。身長は142センチくらいと小さかったけど、中学2年から新聞、牛乳配達を1日100軒以上やってたから体幹は強かった。最初は馬の扱いにも慣れなくて大変だった。でも1カ月で慣れた。馬乗りが楽しくてね。

騎手になって最初は鳴かず飛ばず。2年で90鞍くらいしか乗れなかった。でも3年目から障害戦に乗り始めて、少しずつ上向いてきた。きっかけは稲葉幸夫先生。厩舎所属の平井雄二さんがけがをして、急きょ乗れと言われて乗ったら2戦目で勝てた。1000勝以上した調教師が育てた馬に乗せてもらって、運がよかったね。

障害騎手として、譲れないこだわりがあった。「俺は絶対に最後までかっこよく乗って勝つんだ」ってね。当時、千田能照(よしてる)さんという障害騎手がいて、本当にかっこよかった。平地を乗る格好で最後まで走りきる。憧れたし、僕も周りにかっこ悪いと思われたら騎手をやめようとも思った。1度、野平祐二先生に「お前かっこいいな。障害であんなにかっこよく乗れるやつはなかなかいないぞ」と褒めてもらってね。忘れられないな。

ライバコウハクには命を救ってもらった。菊池一雄先生の厩舎の番頭をしていた藤沢和雄さんから「哲、乗ってみないか?」と言われて出会い、中山大障害も勝たせてもらった。でも最後は俺をかばって死んだんだ。87年の中山大障害(秋)で障害を飛ぶ前に脚が折れた。飛んだ後に転んで、後続馬も来ていて「もうダメだ」と。でもライバコウハクは俺の前に立ちはだかった。2周目も守ってくれて、それから息を引き取った。厩舎にはライバコウハクの写真しか飾ってないよ。

調教師としてもタケミカヅチ、ミュゼスルタンで重賞を2勝させてもらった。あと2勝で通算300勝とよく言われるけど、あんまり考えてないかな。

今思うのは障害騎手でうまい人とそうじゃない人の差が開きすぎている。騎手時代にオーストラリアの障害世界選手権に出場させてもらった時は、馬群がびっちり固まっていた。今の日本はちょっとバラバラかな。馬のレベルは昔と比べて格段と上がっているから、人も世界レベルになってほしい。平地と同じく海外の障害騎手が来て、1年のうち3カ月を2度、半年くらい来て馬をつくるところからできればいい刺激になる。

引退した後は嫁さんとゆっくり温泉旅行にでも行きたいな。あと、孫の比呂が騎手候補生として頑張っているから応援したいね。馬に乗せてもらえることに、常に感謝の気持ちを持ってほしいね。

◆大江原哲(おおえはら・さとし)1953年(昭28)2月13日、福島県生まれ。71年から96年まで騎手としてJRA通算194勝(平地64勝、障害130勝)。ライバコウハクで86年中山大障害(春)、シンボリクリエンスで92年中山大障害春秋連覇。96年に調教師免許を取得し、翌年開業。09年ダービー卿CTのタケミカヅチ、14年新潟2歳Sのミュゼスルタンで重賞2勝。JRA通算298勝(30日現在)。元騎手の大江原隆は弟、大江原圭騎手はおい。

2月末で引退する調教師
2月末で引退する調教師