「見せたかったな」。9月20日のラグビーW杯開幕戦の日本-ロシア戦を生観戦した日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長は、感想を求められると、柔らかな表情を浮かべて思い出の箱のふたを開けた。脳裏に浮かんでいたのは、「ミスター・ラグビー」と愛され、16年10月に他界した平尾誠二さんの顔だった。「勉強をしにいってたからね。平尾ジャパンのやり方とか、マネジメントとか、インテリジェンスとか、ずっと一緒に。合宿に入れてもらったりして本当に勉強させてもらっていました」。

平尾さんは97年から4年間、ラグビー日本代表の監督を務めた。JFAの技術委員会副委員長など代表強化に携わっていた田嶋会長は、球技系の勉強会で5学年下の平尾さんと知り合った。サッカーとラグビー。種目は違えど「盛り上げたい」という熱量は同じだった。ラグビー日本代表の合宿先の宿舎に通い、平尾さんの言葉に耳を傾けた。チームの運営方法、どうすれば強くなるのか、どんな栄養をとれば選手のためになるのか-。話題は尽きなかった。「(平尾さんは)先見の明があったよね。常に世界を見ていたし、そこはやはり彼のすごいところだったと思う。それと、いろんなリーダーシップのやり方があると思うけど、平尾独特のものを持っていて、人を引きつける魅力があった。お互いに、その種目にあったやり方が勉強になった。学ぶことはすごく多かった」。

サッカーは02年のW杯日韓大会での躍進で、日本列島を熱狂させた。勢いそのままW杯本大会に現在6大会連続で出場中と、今や日本のスポーツ界をけん引する競技の1つとなった。

そして、ラグビーである。平尾さんが天国へと旅立ってから約3年、念願のW杯の母国開催が実現した。競技の魅力を体現するような愚直かつ懸命な戦い様が見ている人の心を揺さぶり、強豪撃破も後押しとなって、日本中をとりこにしている。あの頃、ともに思い描いていた未来が、ようやく現実のものになった。「(開幕戦は)同じフットボールとしても感動した。ラグビーの人たちも、W杯が日本で開かれ、しかもあれだけ超満員で、我々が2002年に得たような感動だと思う。でも、それを築いてくれた方がいっぱいいて…。見せたかったなと思うね、本当」。熱狂への道筋をつくった1人でもある盟友の偉大さにあらためて感服しつつ、思いをはせた。【浜本卓也】


◆浜本卓也(はまもと・たくや)1977年(昭52)、大阪府生まれ。03年入社。競馬、競輪担当から記者生活をスタート。静岡支局、K-1、総合格闘技、ボクシングなどを渡り歩き、直近はプロ野球を担当。18年12月にサッカー担当に復帰した。

平尾誠二さん(2015年8月25日撮影)
平尾誠二さん(2015年8月25日撮影)