色あせぬ煌めき

佐藤久美子さん、五輪連覇ペアの「ユニゾン」に衝撃

日刊スポーツが開設した「Figure365」で連載する「色あせぬ煌(きら)めき」。日本の歴史を刻んできたフィギュアスケーターや指導者が、最も心を動かされた演技を振り返る第7回は、2度のオリンピック(五輪)出場、指導者としても金メダリストを育てた佐藤久美子さん(74)。1964年の欧州選手権、目に焼き付いたのは後に五輪2連覇を果たすペア、リュドミラ・ベルソワ、オレグ・プロトポポフ組(ソ連)だった。

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興奮でベッドに入っても眠れない。目を閉じても、頭の中では、あの2人の「ユニゾン」の残映が浮かぶ。1964年1月、高校3年生だった佐藤はフランス・グルノーブルにいた。

64年1月、演技するリュミドール・ベルソワさん(左)と夫のオレグ・プロトポポフ氏(ゲッティ=共同)
64年1月、演技するリュミドール・ベルソワさん(左)と夫のオレグ・プロトポポフ氏(ゲッティ=共同)

人生初の海外遠征だった。それは52日間もの長期に及んだ。1月29日にオーストリアで開幕するインスブルック五輪の代表として、海を渡っていた。航空運賃が高額な時代、五輪後のユニバーシアード(チェコスロバキア)、世界選手権(ドイツ・ドルトムント)まで行きっぱなしの方が効率的だった。選手仲間との「大ツアー」に、渡航前から胸が高鳴っていた。何より、世界の一流の演技を直接見られる初めての機会だった。

その最初の舞台が、グルノーブルでの欧州選手権だった。見学のために日本代表陣で訪れた競技会に、その2人組はいた。女性の名はベルソワ、男性の名はプロトポポフと言った。

「日本ではペアは本格的なのはやってなかったですね、次元が低かったし。プロトポポフというロシアの人がご夫妻で出てらして、それを見た時は衝撃でしたね。そんなスケートは見たことないと思いました。とにかく美しい。あんなにユニゾンがぴったりしててすばらしいなと」。

直後のインスブルック五輪、その4年後のグルノーブル五輪で2連覇を飾ることになる夫婦ペア。この試合では2位に甘んじたが、佐藤の目にはしかと焼き付いた。

驚かされたのはペアの神髄とも言える「ユニゾン」。日本語では調和となる。滑る一歩ごとの速度、ジャンプで踏み切る瞬間、スピンの回転数や姿勢の変更などなど。体格が違う男女が組んでいることを感じさせない共鳴をリンクで体現する技術-。

それまでペアやアイスダンスは、日本に海外からショーで来日する選手の演技を見たことはあった。ただ、競技会で見るペアは未知の驚きが詰まっていた。

「1人の人と、その影が滑っているように動きが合っていて。あまりにもすばらしくびっくりしました」。

クラシックバレエの技術に基軸がおかれた優雅さを醸す滑りと、その連動性。スピードが評価される風潮が広がっていた中で、存在感は一層際立った。

この時、ベルソワは29歳、プロトポポフは31歳。1957年に結婚した2人は競技者としては遅咲きだった。国際大会での優勝はこの欧州選手権後のインスブルック五輪が初で、まさに最盛期を迎える時だった。

「それ以来、いつも試合ではペアもダンスも見てました。われわれは情報がないもんですから、よその選手のを見るのが楽しみで」。

種目としては女子シングルに専念し、指導者としてもペアを教えたことはなかった。

「それはやっぱり環境の違いでしょうね。カップル競技は、氷はそんなに大人数で練習するわけにもいかないし、なかなか難しい」。

今でもシングルに比べれば、選手層は薄い状況は変わらない。ただ、1つうれしく思うこともある。

「娘の有香は本当にペアが好きで。いまもショーなどでやってますね」。

女子シングルで94年の世界選手権を制した有香は、引退後に米国に渡ってプロスケーターになった。そこで取り組んだのがペアだった。世界プロフィギュア選手権では4度の優勝も飾った。14年ソチ五輪代表の高橋成美、木原龍一組の指導も担当し、日本代表を支えることにもなった。

「もしかしたらあるかも! ですね」。

あの眠れない夜から受け継がれたかもしれない系譜。ペアが大好きだった母の影響を聞かれると、いつも明るい声がひときわ弾んだ。(敬称略)【阿部健吾】

14年2月5日、浅田真央さん(左)とハグする佐藤久美子さん
14年2月5日、浅田真央さん(左)とハグする佐藤久美子さん

◆佐藤久美子(さとう・くみこ) 1946年(昭21)2月22日、大阪府出身。小学3年からスケートを始め、全日本選手権で2度優勝。五輪は64年インスブルック大会13位、68年グルノーブル大会8位。5度出場した世界選手権では67、68年と2年連続5位入賞、当時の日本人最高位だった。引退後は指導者の道へ進み、69年に佐藤信夫コーチと結婚。06年トリノ五輪金メダルの荒川静香ら、多くのトップ選手を育てる。旧姓は大川。

◆リュドミラ・ベルソワ 1935年11月22日、旧ソ連生まれ。16歳から競技を始める。1954年春、モスクワで練習中にプロポポフに出会い、レニングラードに移住してペアを結成。世界選手権初出場58年大会は13位、1960年スコーバレー五輪は9位。1962年に旧ソ連の国内選手権を初制覇以降、国際大会でも大きく飛躍した。57年に結婚後も、旧姓を貫き、ペアは通称「TheProtopopovs」と呼ばれた。2017年9月29日に81歳で死去。

◆オレグ・プロトポポフ 1932年7月16日、旧ソ連生まれ。15歳から競技を始めた。海軍で兵役後、53年に最初のパートナーであるボゴヤフレンスカヤと国内選手権で表彰台に上り、兵役を免除される。その後、ベルソワと新ペアを結成。五輪は2連覇、世界選手権は65年から4連覇した。79年にスイスに亡命後、互いに70代に入ってもショーへの出演を続けた。なお、64年インスブルック大会の五輪金メダルは、06年トリノ大会まで続く旧ソ連、ロシアの五輪12連覇の最初の大会となった。

06年トリノ五輪、高得点に驚いた表情の荒川静香(中央)。左はモロゾフ・コーチ、右は佐藤久美子コーチ
06年トリノ五輪、高得点に驚いた表情の荒川静香(中央)。左はモロゾフ・コーチ、右は佐藤久美子コーチ

日本の歴史を刻んできたフィギュアスケーターや指導者が、過去に最も心を動かされた演技を振り返る連載です。名選手、名コーチ、競技発展に尽力してきた功労者の今なお色あせぬ記憶を通じて、氷上の煌めきをファンの皆さまと共有できればと思います。

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