パラ卓球(車いす5)の日本代表・土井健太郎(23=D2C)は、弟の夢も背負って東京パラリンピック出場を目指している。指定難病の骨形成不全症という同じ障がいがあり、ライバル、練習パートナーとして支え合ってきた双子の弟康太郎さんが19歳で急逝して4年。「東京の決勝で金メダルを争う」という約束は夢に終わったが、今でも“2人”で戦っている。土井に東京大会開幕まで1年を切った現状や思いを語ってもらった。【取材・構成=小堀泰男】

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8月はじめに発表された世界ランキングで僕は34位でした。東京パラリンピックに出場するには、来年3月末の時点で10位以内に入っている必要があります。今月のジャパンオープン(東京)では思うような結果が残せませんでしたが、直後のバンコクオープン(タイ)ではシングルスで銅メダル、団体戦で金メダル。東京で負けた選手に雪辱し、世界3位の強豪にも善戦して格上の選手にも勝てたので、来月のランキングは上がると思います。今後も国際大会にできる限り出場して、勝っていかなければなりません。

弟康太郎が亡くなったのは15年の5月29日、大学2年生の時でした。僕が海外遠征中に心臓病の手術を受けましたが容体が悪化。帰国したときには意識がなく、そのまま目を覚まさなかった。幼い頃、みんなが校庭で遊んでいても僕たちはその輪に加われなかった。でも、康太郎がそばにいたから救われたし、寂しくもつらくもなかった。小6で卓球を始めてからは中、高、大学とライバルであり、お互いを一番分かり合っているパートナーでした。

亡くなった時はショックだったし、悔しかったし、悲しかった。でも、卓球をやめようとは思わなかったし、翌週の大会にも出場しました。今の僕があるのは自分1人の力ではなく、弟の存在、力が大きかった。康太郎という選手がいて、頑張っていたことを多くのみなさんに知ってもらうためにも、僕は東京大会へ結果を残さねばなりません。

僕は海外勢に比べて体が小さく、身体的なハンディを抱えて戦っています。パワー、スピードで劣る分、ボールの回転やコース取りで対抗しなければなりません。特に相手の懐を突く深いボールの精度を高めていけばランキングを上げられる。僕は早く攻撃したがる方でしたが、康太郎は粘り強くコツコツとつなぐミスの少ないタイプでした。そのスタイルを見習って、しっかり実践することも東京大会出場には必要なことだと思います。

今、天国の康太郎に声をかけるとすれば「無理せずに頑張るわ~」かな。多分「おお、頑張れ~」と返してくるんじゃないでしょうか。東京パラリンピックは障がい者がスポーツに取り組みやすい環境をつくり、日本が障がい者にとってより暮らしやすい国になる最高の機会になるでしょう。そのためにも僕たちアスリートはシビアに結果にこだわりたい。「決勝で金メダルを争おう」と約束した康太郎の思いも背負って頑張ります。

◆土井健太郎(どい・けんたろう)1996年(平8)3月8日、静岡県富士宮市生まれ。骨形成不全症で幼少時から車いすを使用する。富士根南小6年で卓球を始め、富士根南中からは部活動として本格的に競技に取り組む。3年時には健常者の中体連の市内大会でベスト4。東海大静岡翔洋高を経て東海大理学部数学科卒。高校、大学時代も卓球部に在籍した。5つに分かれる車いすのクラスでは一番障がいが軽い「5」でプレーする。昨年3月の大学卒業後、静岡県庁勤務を経て現在はD2C所属。右シェークハンド。133センチ、34キロ。

 

■パラ卓球メモ

○クラス 障がいがプレーに影響する程度によって車いすの1~5、立位の6~10、知的障がいの11に分かれている。車いすと立位は数字が小さいほど障がいは重い。ルールは健常者と同じで、卓球台やラケットも同様。

○東京では 男子はシングルス全クラスの11種目、団体戦が6種目、女子はシングルス10種目(車いす1、2を統合)、団体戦4種目が実施される。

○出場争い 出場選手数は男子174人、女子106人でシングルス1種目に1国・地域から最多3選手が出場可能。まず、世界5大陸選手権の個人戦優勝者に出場枠が与えられる。さらに今年1月から来年3月までの国際大会の獲得ポイントによる世界ランキングによって出場が決まる。その他、開催国枠、例外的な出場枠が設けられるが不確定な要素が強い。

○最有力 7月のアジア選手権男子シングルス(知的障がい11)で浅野俊(18=長崎・瓊浦高)が優勝し、東京大会出場枠を獲得した。今後、規定の国際大会出場等の条件を満たせば代表に決まる。

 

<骨折しやすい骨形成不全症>

土井の障がい、骨形成不全症は骨がもろく弱いことから骨折しやすくなり、骨の変形をきたす先天性の指定難病で2万人に1人の割合で発症し、国内に6000人の患者がいるとされる。

土井も幼少時はおむつを替えるだけで骨折を起こしていたといい、これまでに30~40回の骨折を経験した。車いすから落ちたり、人や物に接触した際はもちろん、小学校時代は花火大会の大きな音に驚いただけで大腿(だいたい)骨を骨折し、中学校時代の試合中にスマッシュを狙った瞬間に肩甲骨に亀裂が入ったこともあるという。故康太郎さんも同じだった。

「年齢とともに骨が強くなるようで、骨折のリスクは減っているように感じる」と土井は言う。ただ、現在も常に慎重な行動を心掛けており、特に海外遠征中の移動などでは細心の注意を払っている。